【インタビュー】 建仁寺塔頭両足院 副住職・伊藤東凌

         建築史家・井上章一

 失われるもの、遺すもの

建仁寺塔頭両足院 副住職 伊藤東凌氏に聞く

聞き手:菱田吾朗、中村文彦、野間有朝、渡邊雅廣、春日亀裕康

2019.7.30 於 建仁寺塔頭両足院

建築史家 井上章一氏に聞く

聞き手:菱田吾朗、中村文彦、野間有朝、渡邊雅廣

2019.8.2 於 国際日本文化研究センター

様々な歴史が重層的に堆積してきた京都。

変化し続ける都市のなかで何が失われ、これから何を遺していくべきなのか。

今後の京都について改めて考えるべく、伊藤東凌氏、井上章一氏の2人にお話を伺った。

四条大橋から北を望む(写真提供:新 靖雄)

建仁寺塔頭両足院 副住職 伊藤東凌氏に聞く

― 建仁寺両足院の沿革

—最初に、建仁寺全体や、その塔頭である両足院の建立の経緯、さらには現在に至るまでの流れをお話しいただけますか。

 

伊藤—建仁寺は京都でいちばん古い禅のお寺です。1202年に建てられた当時は、禅を専門にしたお寺は許されていなかったので、天台宗、真言宗、禅宗の三つを合わせて学ぶ、総合大学のような形で建てられました。それから50年ほど経って、9代目の住職が入ったときに、純粋な禅のお寺になりました。住職が50年で9人も入れ替わるほど昔は任期が短かったのですが、位の高い僧侶を呼び寄せたあと、その短い任期が終われば無関係になるわけではありません。境内の中にまた新しくお寺を建てることで、弟子たちがその教えを継承していきます。これが建仁寺の塔頭である両足院のような、塔頭の起こりです。両足院の場合は栄西さんが眠っており、修行の際には非常に神聖な場として拝まれていました。また、経蔵というお経の蔵もありますが、ここも特別な役割で選ばれた人しか住めない所でした。そのようにして、大寺院の中に小寺院が建てられ、住まい、あるいは学問所のような機能を果たしていました。両足院は建立当初、知足院と名乗っていましたが、あるときに知足院の全体を二つに区切って、護国院と両足院に分けました。ですからこの時点で境内の区画が整理されています。

—鎌倉時代に遡るほどの歴史をお持ちですが、応仁の乱など数々の災害に遭っているなかで、現在まで残っている建物はあるのでしょうか。

 

伊藤—両足院にはありません。建仁寺全体で見ても勅使門だけが創建当初のものだったと思います。建仁寺は七つのお堂が主要な建物として並ぶ、七堂伽藍という形式ですが、寺領の大きさは創建当初から変化しています。初めに与えられた七堂伽藍のエリアから、時代を追って塔頭などが次々と建立されるにしたがって寺領が拡大していき、いまの四条通のあたりまでが寺領でした。 

伊藤東凌氏(右)を囲んで

― 周辺のまちの変化

—四条通あたりまでが境内だった明治維新ごろの状況から、周りのまちとの関係のなかでどのようにして現在の状況まで変わっていったのでしょうか。

 

伊藤—やはり明治時代になって、廃仏毀釈が行われたことが大きいです。住職が常駐していない寺院が取り壊されたことから、江戸末期には60軒くらいあった塔頭寺院が、いまでは14軒まで縮小しています。そのなかには極めて重要な文化財を持っているお寺もあったので、例えば両足院も何軒かお寺を合併しており、合併することで残せる文化財はできるだけ残しながら縮小していきました。

 京都市としても、お寺が土地を持っていると全く税収にならないのに対し、いわゆる繁華街なら税収が上がるということもあったでしょう。建仁寺と祇園や宮川町のように、寺院と花街は立地的に近接していることが多いです。舞妓さんに支払うお金のことを花代、線香代と呼んでいたことからもわかるように、お寺参り、お墓参りとあわせて遊びに来ていたんです。やはりお参りが衰退していったなかで、遊びとの連動で信仰を再び盛んにすることを、お寺側も受け入れていた可能性はあります。

—明治維新のときに現在に近い規模にまで縮小したあと、それまで建仁寺の境内だった所では、どのようにまちづくりがなされてきたのでしょうか。

 

伊藤—花街はもちろん、寺町としても機能した要素があるので、草履屋さんや畳屋さんなど、いわゆる伝統文化に関連するお店はひととおり揃っていました。お寺が品物を注文しやすいこともありますし、お参りに来たお客さんがついでに買っていくこともあったでしょう。ろうそく屋さんや花屋さんなども数多くありました。いまはそれらも経営難に陥ったり後継がいなかったりで、残念ながら多くがコインパーキングになってしまいました。

 明治維新で一気にお寺が縮小してもなお、比較的広い境内がありましたし、経済的な理由もあったのか、お寺の境内でも空いている所を貸していたことがわかる明治時代の図面もあります。そこにも現在は民家が建っていることが多く、西側や南側の道路からは、建仁寺を囲う塀は見えません。その意味ではさらにもう一段階は小さくなっているといえます。境内のいちばん端になる部分の多くを譲渡してしまったような形です。

建仁寺の境内鳥瞰図 1)
賑わう花見小路

― 文化財としてのお寺の保存

—建仁寺は伝統的建築や文化財の点で重要性が認められているお寺だと思いますが、保存に関しては現代に何を残すべきか、それをどのように残すべきか、という問題があると思います。

 

伊藤—99.9%変えずに残すべきなのは、両足院でいえば本堂と正門だけかもしれません。建仁寺の650年の歴史において、最初からすべての建物が揃っていたわけではありません。先に述べたように、時代の変化に伴って追加されたものや建て替えられたものもあります。それは今後についても同じことでしょう。例えば、いまは朱印を求める人がかなり増えました。建仁寺にはありませんが、朱印を授与する専門の場所を、プレハブなどで新しく用意しているお寺もあります。両足院でも、一般の人々が飲食できる場所を新たに設けることを検討しています。いままでお寺のなかにそのような場所はありませんでしたが、人々の食への関心が高まっている現代ですから、食を通じて禅のエッセンスが感じられるような場になればと考えています。

 やはり改めておもしろいと思うのは、建物と庭の関係です。被災して建物が更新されても、庭はほぼそのまま残ります。それが数百年繰り返されていくと、庭だけが重厚な気配を孕んでいくので、更新される建物は、中から見る庭の景色の印象を損なわないようなもの、具体的には同じサイズ、素材のものになります。一方で、これを変えながら、庭の景色の美しさを変えないというのはとても難しいと思います。私もまだ考えが及びません。とりわけ現代においては、お堂のプロポーションと身体性の関係が問題になります。椅子に座って見る庭の景色は畳の上に座って見るときとは変わってしまいますし、椅子に座るなら、天井をもっと高くしたほうがいいかもしれません。また、人間の体つきも、現代と昔とでは少し違うはずで、参拝する人も日本人だけではなくなってきています。そうした人間の身体性の変化にあわせて新しくつくると、これまで守られてきたお堂特有のプロポーションが崩れてしまうんです。

—建仁寺を建築物として実際に修復していくときに、例えば伝統工法としてつくられたものが直せない、あるいは壊れてしまった部分をどの時代のものでどう作り変えるかなど、技術的な問題や時代性の問題はありますか。

 

伊藤—例えば、建仁寺の本堂の屋根は、5年前に銅板葺きから杮葺きに修復されました。私が子供のころから見てきた景色は銅板だったのですが、やはり400年前は杮葺きだった、ということで直されました。銅板は戦後、いろいろなお寺で信仰のように流行り、とてもいい技術だと持てはやされていました。でも結局穴が空いてしまったり、緑青も完璧に美しい状態にはなかなかならなかったりで、いまはむしろ避けるべき素材になりつつある気がします。そういう修復のしかたのトレンドみたいなものはあります。

 建物が災害で壊れてしまったり、見えない部分がいつの間にか老朽化していたりすることは昔からよくあります。そうした際にはある工務店一社に飛んできてもらって修理してもらうのですが、これを繰り返していくと、応急処置だらけになってしまいます。理想的には、30年後、50年後どういう姿でありたいかを考えた上で、うまくお金を使っていけたらいいのですが、そのように変えながら残していくのはわりと難しいことだと思います。やはり、財政状況はお寺の建物の保存に関して決定的な要因ではあります。

『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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2018.10 | 112p
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インタビュー:米沢隆
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