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【インタビュー】イムラアートギャラリー代表・井村優三

 文化と経済の交差点で

聞き手 鈴木・上村
記録  西尾

2013年6月26日イムラアートギャラリー京都にて

 

京都で若手アーティストを数多く手がけるイムラアートギャラリーをたずね、国内外の美術界で辣腕を振るう井村優三さんにお話を伺った。

― ギャラリストになるまで

鈴木 現代アートに興味を持つようになったきっかけを教えていただけますか。

井村 もともと実家が古美術を扱っていて。日本の古伊万里とか柿右衛門ってありますでしょ、当時ああいったものの多くはヨーロッパで出回っていたのですが、私は実家の手伝いでロンドンのサザビーズやクリスティーズといったオークション会社に買い付けに行っていました。20歳そこそこの頃だったかなぁ。買い付けが終わってオークション会社の近くにあるコーク・ストリートを歩いていたときに、CoBrAの絵を観る機会がありまして、もうなんて言ったらいいのか、とにかく「うっ、何これ?!」ってなって、ぐっとひきこまれていったんですよね。力強くて、エネルギッシュで。古美術ももちろんすごくいいなと思っていたのですが、その迫力にやられてしまって。それが現代アートに興味をもった一番のきっかけですね。それに、それまで扱っていたのが古美術だったこともあって、絵を描いているのが現代を生きる作家であるというのがとても新鮮でした。将来は同じ年代の同時代を生きる人と一緒に歩んで行くことができたらと、夢をみたりしまして。カレル•アペルという作家がいるのですが、それこそ同時代を生きた作家で、私の大好きなアーティストの一人です。ヴィンセント•ヴァン•ゴッホ美術館の隣にあるカフェの壁画はすべて彼が描いているんですよ。これはつまり、オランダという国が国を挙げて「カレル•アペルこそが、次のゴッホだ!」と世界に向けて発信していると。そういう意味が含まれているんですね。それを見て知ったときに、スイッチが入ってしまいまして。「ぼくがいいって感動して見出した作家が、次世代の〇〇って言われるようになるのかもしれない!」って(笑)。

鈴木 当時は、どこか学校へ通われていたのですか。

井村 実は、大学は中退しました。お医者さんやら建築家になりたいんだったら、必ず習得すべき項目をとっていかなくちゃいけないんだろうけど、私はそもそも美術とは何ら関係のない学部に行っていたのに、美術商としてやっていこうって決めてしまったので、実家に「すみませんが大学やめます」って言いに行きました(笑)。


鈴木 その後は、自分のギャラリーを構えるまでの準備期間に入るのですよね。建築家やアーティストだったら、修行中に何をしているかなんとなく想像がつくのですが、ギャラリストの方って何をしていらっしゃるのですか。

井村 いいものを見て目を養いつつ、とにかくギャラリー設立の資金調達をする必要がありました。自分のギャラリーを構えるまでには、色々なビジネスを経験しましたよ。同業である親の力を借りて、フランスのアールヌーヴォーを扱い、今でも取り扱っています。こういう美術に関する仕事は裕福になるほど感性が研ぎすまされるはずだ! という思いがありました。ビジネスとしての画廊主というのは実はかなりリスクが高いので、今のうちからビジネスにおける勘みたいなものを身につけておかなければいけないとも考えていましたね。最初のギャラリーを京都ホテルオークラの横に構えたのが1990年、29歳のときに決断して、30歳でギャラリーをスタートさせた感じですね。しばらく価格帯の低い海外の作家の版画なんかをせっせと買ったりしていたんですよ。

鈴木 所属アーティストを初めてもつようになられたのは、いつごろだったのでしょうか。

井村 それから、今のこのイムラアートギャラリーが建ったのが1996年。そのころから専属のような形で、作家をもつようになったかな。最初に扱ったのは、木村秀樹さんとか、川村悦子さんとか。この頃は今の形態とは随分異なっていました。ちょうど、2000年頃からギャラリー取扱いの所属作家というスタイルになる直前でした。2000年頃から徐々に、長期的に一緒にやっていけると思う作家に声をかけていき、今の形態がつくられていきました。

西尾 それまでは今やっていらっしゃるような、プライマリーギャラリーは日本では一般的ではなかったのですね。

井村 そうですね。それまではセカンダリーギャラリーと貸ギャラリーしかありませんでした。プライマリーギャラリーの魅力はどこにあるのかと言えば、オープニングで作家に会えることや、一番の新作に出会える場をつくることを保証していること。つまり新しい、ということですね。私はただディーラーであることよりも、リスクは高くても常に新鮮な場を生み出していくことのほうに興味があったので、そちらにだんだんとシフトしていきました。私が望むギャラリストとしてのあり方は、新しいことこそが芸術の上で絶対的な価値がある、ということとすごく共鳴している気がしているんです。
 

― 作家とギャラリスト

山本太郎 『ニッポン画K松翁図屏風』 1999
四曲一隻 紙本金地着色 183×256cm
日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社蔵
©Taro YAMAMOTO courtesy of imura art gallery

鈴木 先日こちらで個展を拝見した三好彩さんは大学を卒業されて間もないとお伺いしましたが、若手作家に出会う経緯や作家を見いだす際のルールなどあったら教えていただけますか。

井村 作家との出会いについては、やはり様々な展覧会で作品を見ること。貸ギャラリーでの展覧会や卒業制作展なども見に行きます。一度見ただけではわからなかったりするので、何度か見に行き、作家と話をして、その作家がどういうコンセプトで制作しているか、ということを確認します。どのギャラリーもいい作家を見つけたいという思いがありますし、タイミングと、あとはご縁なんですよね。それと、うちの所属作家からの紹介もあります。あと、作家自身が持ち込みにくることもあります。

 

上村 先ほど余裕が出てきてからようやく若手を扱えるようになるとおっしゃっていましたが、無名の作家を売り出して行く際には具体的にはどんなことをされるのですか。

井村 まず、ギャラリーで個展を開催します。DMやプレスリリースを作成し、美術館やプレス関係者、お客様にお送りし、展覧会のご案内をし、実際会場に見に来ていただけるよう事前に準備をします。ただ、実際見にきていただける方というのは限りがありますので、他、雑誌媒体などで少しでも多くの機会で作家を紹介していけるよう、宣伝告知をします。
例えば、イムラアートギャラリーの作家である、山本太郎くんの例ですが……(雑誌を見せながら)アメックスのプラチナカードや、ポルシェの季刊誌で作品画像を使っていただいたりすることで、山本くんを知らなかった方々に興味を持っていただけたりします。作品コンセプトを理解していただき、様々な媒体で使用していただくことで、作家の認知度は徐々に広がっていきます。先日、イムラアートギャラリー京都での山本くんの個展は放送作家の小山薫堂氏からお声がかかり、コラボレーション企画での展覧会でした。最近では、様々なジャンルとアートが繋がり、幅広い展開で広がっていっています。又、評論家や美術館学芸員が作品や展覧会に関して執筆してくださることで、作家と作品の評価がより高くなっていきます。そうした様々なことをお客様に紹介することで、より作家と作品のことを理解していただき、作品をご購入していただくきっかけとなります。国内のみならず、作品を理解してくださるコレクター、美術館に作品を購入していただくことはギャラリーの大きな仕事です。

鈴木 今までのお話を伺っていると、作家と作品を受け取る主体との間で活動するのがギャラリーであるという印象を受けますが、ギャラリーがアーティストのコンセプトをつくる部分に関わってくることはあるのですか。

井村 ギャラリーにもよるでしょうけど、うちは作家に「こう描け」という口出しはしません。もちろん、会場の大きさ、アートフェアなどへの出品だと、サイズの相談はしますが、具体的にこういったものを、といったことは言いません。一番大切なことは、作家が何を思い、何を作りたいのか。もちろん、作家が悩んでいたり、相談してきたときはきちんと方向性を指示することはあります。例えば、個展のプレスリリース用の文章を考える場合はギャラリースタッフと作家が話し合いながら進めて行きますし。作家がどういう気持ちで作品を作っていたのかをインタビューしながら互いに意見交換していくのですが、作家本人のアイデアを整理するという意味で間接的に制作に関わっていると言えます。  

鈴木 作家にも色々なタイプの方がいらっしゃいますよね。先日、松井冬子さんにお話を伺ったときは、作品を説明する言葉も作品の一部と考えていらっしゃるところがあって、雄弁な印象を受けました。

井村 様々なタイプの作家がいます。村上隆さんや名和晃平さんのように、自分で会社を設立し、運営もプロデュースもしていくアーティストや、話すことに長けているアーティスト、逆に話すことや自分のプロモーションが苦手なアーティストなど、それぞれ作品が異なるように、タイプも様々です。作家によっては一時間二時間ずっと話をして、納得するまで帰らない作家もいます。話し相手がいるのは、作家にとって大切なことだと思います。普段ずっと一人で制作している作家も少なくありません。そういうメンタルケアみたいなことが仕事のひとつであることは、うちのスタッフに女性が多いことと無関係ではないんですよね。
 

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