【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太
都市の中の巣
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【プロジェクト】小林・落合研究室
地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
【インタビュー】画家・松井冬子
ダ・ヴィンチの彼方をめざして
聞き手 竹山・阿波野・上村・玉井・夏目・吉川・吉田
記録 杉村・鵜川・江川・鈴木・嶌岡・西尾・藤井・三浦
2013年5月14日 竹山研究室にて
古典的な技法を用いて、生きていく「痛み」あるいは「狂気」を見る人に感じさせるような作品を描き、注目を浴びてきた画家、松井冬子。
彼女にとって、アーティストとして生きていくこととは何なのか。
そして美術館とはどのような場所なのか。
アーティストとしての原点から、作品に込める思い、理想の展示空間のイメージまで、話を伺った。
― 始まりは1枚の絵
阿波野 画家を目指すようになった最初のきっかけは何でしょうか。
松井 小学校4年生の時に、私が通っていた静岡県のすごく田舎の小学校の図書室の入り口に、モナリザのレプリカがかかっていて、それを見た時に「美術家ってすごくかっこいいな」って思って。それからですね。自宅に帰って母親に「レオナルド・ダ・ヴィンチみたいになりたいんだけど」って言ったら「じゃあ東京藝大受けて下さい」って言われちゃって。
それで、高校卒業するときには進路で東京藝大を目指そうって決めて、高校2年の夏休みからちょこちょこ東京の予備校に通い始めました。最終的に6年間かかって東京藝大に入ったのですが、その6年間の浪人の間も、「美術家になりたい」という気持ちは完全に固まっていましたね。
阿波野 東京藝大では、絵画を描くということ以外に興味を持っていたことはありますか。
松井 うーん、美術のこと以外は特に興味がなかったですね。現代美術一般を見たりはしていました。イタリアへヴェネチア・ビエンナーレを見に行くっていうのが一番勉強になったかな、と思います。とにかく勉強することにがっついていたので、どんな小さなことでも吸収しようという気持ちがありました。
阿波野 最終的に博士号をとるに至った理由は何でしょうか。
松井 まず、ちゃんとした美術家になりたいと思ったときに、目指すものが何なのか思い浮かべると、やっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチが頭のなかにいるわけですよ。じゃあレオナルド・ダ・ヴィンチができることは、なんとかクリアしようと考えたんです。レオナルド・ダ・ヴィンチが

「夜盲症」(2005)
藝大を受験したら、絶対受かるでしょう。大学院を卒業するのも、博士号をとるのも、まあ楽勝でしょう。だからレオナルド・ダ・ヴィンチができそうなことは、とりあえずクリアしていこうっていうのが課題で。日本では博士号ってそんなに重要視されてないみたいですけど、海外、特にヨーロッパで博士号を持っているのと持っていないのとでは、大きく違います。ちゃんと研究しているものであるかどうかの証明みたいなものなので。だから、世界でアートをやっていくためには、博士号は絶対に取ろうと思いました。
― 日本画と西洋画
阿波野 ダ・ヴィンチを始めとして、西洋の絵画から影響を受けていらっしゃるようですが、敢えて日本画に進んだ理由は何でしょうか。
松井 今でもそうかもしれませんが、私が小学校の頃って、美術教育では西洋美術を重要視するって流れがあって、油絵ってすばらしいって叩きこまれてきたんです。美術史を見ていても、占める割合って西洋画が多くて、否が応でも、芸術といえば油絵だって先入観があったんですね。それで、洗脳されたように油絵が素晴らしいと思って、高校までずっとやってきて。大学浪人の4年目くらいには結構な数の現代美術を見ていて、美術の歴史を見倒してしまった気分になっていたんです。
そのときに別のジャンルも見てみようと思って、長谷川等伯の『松林図屏風』を見た時の衝撃と言ったら。国宝であるし、長谷川等伯の『松林図屏風』っていうのは当然昔から知っているものであったけど、油絵や現代美術を学んだ後で長谷川等伯を見ると日本でもこんなにすごい美術作品があるんだ、と感じましたね。なおかつ、日本画というジャンルはまだ世界で広がってないっていうことに気がついて。当然認識はされているんですけど、それを現代美術の武器として使っているのは見たことがない。これはすごい伸びしろのあるジャンルだな、とそのときに気がついたんです。それがきっかけですぱっと油絵をやめて、予備校で日本画科に移りました。
その2年後に東京藝大の日本画専攻に合格するんですけど、日本画の考え方・テクニックと油絵の考え方・テクニックは全然違うので、調整するのが大変でした。今でも大変です。油絵の場合は明暗でものをとらえる、日本画は線と色と質でものをとらえるという考え方があって、ものを見る視点自体から変えないといけない。日本語から英語に切り替えるみたいに、感覚全部を変えなきゃいけない。顔を描いていても、円山応挙のお雪の顔なんか「なんで線だけで目とか鼻とかかけちゃうの」みたいな感じです。私はどうしても、ものを立体的に見てしまうので、その調節が今でも難しい。ただ、油絵も学んで日本画も学んだっていうところで自分の中の引き出しの幅が広がっていますね。
阿波野 今でも西洋画で学んだ技法を積極的に日本画に適用することはあるのですか。
松井 あります。例えば、『夜盲症』という作品です。さっきも言ったように円山応挙の幽霊画って、顔の輪郭と目と鼻と口ってほんとに線一本で描かれているわけですよ。でも私にはどうしてもそうは見えないという感覚がある。なおかつ日本画でありながらいろんな要素を詰め込みたいと思い、明暗で鼻や口を描いてみたんです。要するに、明るいところと暗いところで顔を描き分けているんです。
さらに、日本画の世界には、コピー機とか簡単な機械を使ってはいけないという暗黙のルールがあります。というのも、下図から大下図、本画に関わるまでの間、自分の手で描いていくことによって思考が深まり、さらに作品も深まっていくという考え方なんです。だから、コピー機で拡大してそれを大下図として使います、っていうのは日本画界ではタブーなんです。でも、私は逆にそれを使ってやろうと。ほんとは『夜盲症』の下図はもっと横幅が広くて、人体の体も分厚くて、顔も立体感があって、ものとして掴めそうな感じがあるもの、要するに西洋画的なものだったんですが、コピー機を使って縦横比を細くすることによって、幽霊のゆらぎとか、空気感というものを表現しようとしました。
吉川 最初からイメージして細く描くというのは難しいのですか。
松井 自分の手で細く描くことと、コピー機を使うことは違うんです。幽霊のゆらぎ感みたいなものって手で描けるようなものではないような気がするんですよね。機械的な圧縮感を逆利用するという感覚の方が近いかな。
阿波野 今のスタイルで作品を描き始めたのはいつ頃でしょうか。
松井 東京藝大の学部4年の卒業制作のときですね。それ以前の作品はほんとにしっちゃかめっちゃかです。たとえばアール・ブリュットと呼ばれる正規の美術教育を受けていない絵描きの作品を真似して描いてみたりとか。あるいはものすごくポップなもの、たとえば女の人がピンクのビキニを着てゴールドのネックレスをしている絵とか。今のような作品とは程遠いものを、とにかく幅広く制作することで自分が本当に何をやりたいのか固まってきたのだと思います。
阿波野 日本画の製作過程では何度も下図を描くことが特徴のようですが、それによって生まれてくるものはあるのでしょうか。
松井 そうですね、何回も繰り返すことによって、ここは足したほうがいい、ここは引いたほうがいいって計算できるようになる。それにより作品自体が洗練されてくるというのはあります。最初は盛り沢山にいろいろなアイディアが出てくるのだけれど、削り落として再構築していく感じですね。
玉井 複数の作品を並行してつくることはあるのですか。
松井 それはできないですね。1個しかできないです。
吉田 下図を洗練させて要素を削っていく中で、誰かとの対話を経て、思考を整理したりすることはありますか。
松井 完全に自分の中だけです。人に聞いたりすることもまずないです。自分の作品だから、自分の責任ですし。それが一番の醍醐味で、そんな一番面白いところを人に盗られてたまるか、みたいな(笑)。
阿波野 ほとんどすべての作品に言葉を添えていますよね。博士論文も書かれていますが、松井さんにとって作品を言語化することにはどんな役割があるのでしょうか。
松井 コンセプトがあるということを明確にしたいし、言葉でも伝えられるものはある。それができないと、作品として弱いな、と私は思っているので。作品も言葉もあると言葉が邪魔で入りづらい、と言う人もたまにはいるんです。もしもっと知りたい人がいるならそれを読んでもらえればいい。それをうるさいと思ってもらっても良いし、さらに見方が深まって別の方向で考えることができたっていうのであればさらに良いし。
とにかく、作品にとっての言葉って、人に考え方のヒントを与えたり、人との呼応を大切にすることができるものだと思うんです。私の意図とは違った見方をされるということは当然あるけれども、人は個人でいろんな考えがある、という気持ちでいるので、自由に見ていただければいいと思っています。
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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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2020.01
