【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太
都市の中の巣
【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太
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【プロジェクト】小林・落合研究室
地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
神吉 紀世子 小見山 陽介 学生編集委員
【プロジェクト】
traverse座談会
2022.11.4 京都大学桂キャンパス 213ゼミ室にて
「6年後はどこに住んでいるのだろう?」
山井
高橋さんと同じインタビューをした宇野さんは何か思ったことはありますか。
宇野
文化については教育が関係していると思っています。実際に市橋さんはちょうどお子さんが生まれたところで、これまではアドレスホッピングしていたのですが、今は長期的に住む家を探されています。今後、世帯人数などの所有が増えていくなかで、そこに教育が入ってきたときに、さらにハードルが生まれてくるのかなと思います。社会をどう変えるか、さらには自分のなかでどうハードルを超えていくかについても課題があると思います。
小見山
僕にもいま同じような悩みがありますね。次の4月で自分の子どもが小学生になるので、小学校の入学申し込みの書類が届いたのですが、自分は6年後どこに住んでいるのだろう?と考えてしまいました。
「学校の問題よりも、医療や健康などの問題の方も懸念点」
神吉
確かに子どもからすれば自己決定権が全く無い一方で、あっという間に時間が流れるとも言えますよね。最近は小中一貫校が多いですけども、9年間同じ学校に行く、一か所にいる方がしんどい子もいるかもしれないですし、子ども本人のキャラクターに合わせて状況を変えるのが本当は良いと思います。さらには、私としては学校の問題よりも、医療や健康などの問題の方も懸念点だと思います。大都市圏に行った方が医療に関しては絶対に安心できますけども、逆に人が多い所でストレスのかかる人もいます。人が大都市でも地方でも移動できるのは現代のいいところで、空き家を使わせてくれるシステムが利用できたりしますよね。
― まとめ
「境界があるとしたときに何をつくれるのかという話をすることに意味がある」
山井
ご意見ありがとうございます。最後になりますが「今、境界をつくるということ」というテーマに対しての答えという点で、佐藤さんはどう思いますか。
佐藤
全体を通して、境界をつくることに言及している人は少ないように感じました。つまり「つくる」という議論に終止せずに、境界はあるものとしてその境界を超えることの可能性についての議論が多かったと思います。私たちは「つくる」ということを気にしすぎていましたが、そこに広がりはあまり無くて、境界があるとしたときに何をつくれるのかという話をすることに意味があると思いました。
山井
同じく安東さんのインタビューでも、境界をどのようにつくるか以前に、境界のあるものの関係性をコーディネートすることが取り上げられました。
岩崎
もともとある2つのものをどう扱うかというときに、ときには2つのものを分けるデザインも必要なんですけども、どのようにつなぐかが重要だと思います。それと、追加で「テキスタイル」から出た視点としては、当インタビューでは境界をつくるということに加えて、つくることの中での制約の話が出てきました。テキスタイルだと印刷するための規格が決まっていて、その中でどうやりくりするかという制約があるそうです。
山井
お金をかけて複雑なものをつくるよりも、少ない手数でデザインできた方がおしゃれではないかという話をされていていいなと思いました。ノマドのインタビューでも、境界を積極的につくっていくというよりは、既存の境界をまたいでいくとか、ある場所で境界をつくるという話だったと思います。インタビューをしてみて、若松さんはどうでしたか。
若松
そうですね。ノマドのインタビューでは最終的には具体的にその人がどうするかという議論に収束してしまって、個人の意見次第という結論になってしまったという点は今日の話を聞いてもずっと思っていたことですね。一般化するよりも、どこかに共通項を見出していく方が広がりがあるかもしれないなと今日の議論を通じて感じました。普遍性よりも共通点という感じですね。
「誰に決定権があるのか」
神吉
個人の意見によるといえばそうなんだけど、勝手に他人につくられたくないという意見を大事にすると、誰に決定権があるのかが問題になりますよね。その場合には、決定権の範囲がいつまでなのか、どこまでなのかについてしっかり頭の隅に置いておくことが必要になりますね。さっきの制度問題についても、誰に決定権があるのかは揺れ動きますが、そこを外すと拘束状況にしかならないというのが本質だと思います。誰にとってのどういう境界なのかを、誰が決めるべきかというところに対する柔軟性が大事ですよね。
山井
境界をつくる主体と客体を意識しながらつくっていくと。
神吉
特に主体が忘れられやすく、客体的になりやすいですよね。
「境界というものは、決められて、そのなかでやらなければいけないものではなくて、自分自身でも働きかけていくことができるものになっている」
小見山
今の神吉先生の境界をつくる主体に関するところで、近年の歴史研究の動向を連想しました。日本建築史、西洋建築史のように地域ごとに分けるのではなく、グローバルヒストリーという包括的な概念が出てきています。結局そのグローバルヒストリーのなかでも何を取り上げて、何を取り上げないかは自分で線引きをしなければいけないのですが、あらかじめ与えられた線引きに沿って、では自分は◯◯建築史を担当しますというのではなく、研究対象の枠組み自体を自分でつくる、その境界自体を自分でつくるというのが、歴史研究のアプローチとして出てきているように思います。今回のインタビュー記事で登場された方々にも共通するような姿勢だと思います。境界はあると言えばある、無いと言えば無い。ただ、必ずしも与えられた境界のなかでやっているだけではなくて、自分で境界を定めている人たちもいると思いますし、全てはグラデーションであると思います。境界というものは、決められて、そのなかでやらなければいけないものではなくて、自分自身でも働きかけていくことができるものになっているのかなという気がしました。
「歴史性のなかで、「今」という時代性をどう相対化するか」
山井
難しい問いかもしれないのですが、そういう歴史性のなかで、「今」という時代性をどう相対化していらっしゃるんでしょうか。それこそ、自分で決めていくことができるものなんでしょうか。
小見山
今この瞬間には分からないんだろうなというふうに思う部分もあります。例えば、イギリスでは19世紀に建築家のための職能組織が出来た時に、建築家とは◯◯をする人で、それ以外は建築家ではないという線引きがされましたが、今の感覚で当時の線引きを読むと違和感が大きいです。そのように後から振り返ると、どうしてあんな線引きにしたんだろうと思うこともあります。現在進行形で行われている線引きのなかにも、しばらくしたら、「いや、そもそもそんな線引きにしたことがばかげてたね」と思えることもたぶんあると思うのですが、現在進行形でその渦中にいるとなかなか客観視は難しいと思います。逆に今、僕らが強固に存在していると思っている境界も、ちょっとしたことで無くなってしまったりするかもしれないとは常に思っています。
「線を引くというよりは、昔の運動場の白線みたいに踏んだら消えちゃう感じにしとかないといけない」
神吉
今の社会は少し昔に比べ、良くも悪くも新しい見方を獲得していますよね。その影響で昔はダメだとされていたものが今は良しとされていることが本当にたくさんあるので、否定するときに頑なになりすぎないことが大事だと思います。
そういう意味で線を引くというよりは、昔の運動場の白線みたいに踏んだら消えちゃう感じにしとかないといけないなって、最近はすごく思います。積み重ねはそんなに変わらないんだけど、これも評価に入ってくるのかと驚くようなことは結構あるんですよね。驚くけれどもそうかと受け入れて考えられるマインドセットはあった方が良いかなと思っています。
小見山
文化財保存の現場でも、なにか改修の手を加えるときには、そこで用いられた現代の技術があとから交換できるようにしておくらしいですね。今とは違う価値観、ニーズのもと次回改修される時にはそう対応できる様に。
神吉
元に戻せるように一応するんですよね。300年に一回しか改修しないものとかは特に。30年や40年くらい経つと新しい評価が見えてくるのかもしれないですね。
山井
評価が変わることを前提に、境界の消し方を考えて境界をつくるという話は面白いですね。
神吉
消し方を含めて線を引くというのはなかなか実装はしてもらえないんですけどね。勝手に物事が進んでいってしまうことがあるから。
小見山
主体性の話ともつながりますね。線を引くときはそれを消すときのことも考えておく。
神吉
本当に消したくないやつは残すっていうのもありますよね。全否定はしないけれどもやりすぎないように。
山井
議論は尽きませんが、座談会はここまでとさせていただきます。今日は長い間、本当にありがとうございました。
― 編集長あとがき
「「境界が顕在化してくる時代」としての「今」、境界を議論する必要性」
「今、境界をつくるということ」という本誌のタイトルは実は、境界を如何につくるかという議論にとどまらず、「そもそも境界をつくる必要はあるのか」という意見を喚起する意図も含んでいる。そして、「境界が顕在化してくる時代」としての「今」、境界を議論する必要性も感じていた。
冒頭の指摘、創作者だけのことを扱っているという議論はまさに、「つくる」という言葉の境界を引いたことによって生まれたものだろう。人は皆、デザイナーである以前に生活者である。生活者とは、身の廻りに溢れる境界の「コーディネーター」といえるのかもしれない。その視点を持ったとき、境界のつくり方よりもむしろ、その使い方や消し方が問題となってくる。あるいは境界のまたぎ方が問題となってくる。そうして境界それ自体に対して意識的になったとき、デザイナーとコーディネーターの境界は、案外曖昧なものなのかもしれない。そして、それこそが「全てはグラデーションである」世界に対して働きかけるということなのだろう。
切断と接続をX軸に置いたとき、Y軸にはコーディネーターとしての視点を置けないだろうか。その座標軸は「消しやすさ」かもしれないし、「またぎやすさ」なのかもしれない。そんな座標系を、時々で意識的に移動しながらデザインの解像度を変えていくこと。それが僕という1つの主体が思い描く、「今、境界をつくるということ」である。
『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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18
2017.10
インタビュー:五十嵐淳
interview:
project:
essay:
三谷純,奥田信雄,魚谷繁礼,
五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男,
Galyna SHEVTSOVA
17
インタビュー:野又穫
2016.10
interview:
project:
essay:
野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
竹山研究室「無何有の郷」
竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
16
2016.1
interview:
project:
essay:
中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
特集:アートと空間
2014.1
14
interview:
project:
essay:
松井冬子,井村優三,豊田郁美,アタカケンタロウ
竹山研究室「個人美術館の構想」
竹山聖,布野修司,小室舞,中井茂樹
特集:建築を生成するイメージ
2015.1
15
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
interview:
project:
essay:
20
2020.01
