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【座談会】建築史家 倉方 俊輔

     イオンモール(株)開発本部 企画開発部長 高須賀 大索 

     建築家 西澤 徹夫

    

    

     商業建築の「顔」をなすもの

​  Is there any face when architecture meets retail ?

聞き手:石井 一貴、河野 佳奈、小坂 知世、濱田 叶帆、菱田 吾朗

2018.8.3 京都大学桂キャンパス 竹山研究室にて

「日本の商業建築には顔がない」とある人は言います。本当にそうなのでしょうか。

建築の「顔」とは何か。商業において建築が果たしてきた役割とは。

商業建築に関わる方々と、日本の都市や商業、そして商業建築の歴史を紐解きながらその「顔」について

再考します。

 

― 座談会に先駆けて 「顔」を巡る考察

 現代の商業建築の多くは、売り場である内部空間と、ファサードなどのまちとのインターフェースに乖離があると思われる。しかし、まちを歩いていると、建築の外観を意識的に見せてはいないように見えるイオンであっても、私たちはイオンとして認識し他の商業施設と区別できる。一般的に、顔はある人を思い起こそうとするときに真っ先に現れるものである。それは内外のインターフェースが個別性を担保する存在と密接に関わっていることを示す。では、商業建築における「顔」とは何であろうか。主に鷲田清一の「顔の現象学」1)を参考にして商業建築の顔に関する考察を進めた。

鷲田清一「顔の現象学」

 

― 対象としての「顔」

 自分の顔は直接見ることができず、他者の表情を通して想像するしかない。このことから、鷲田は、顔は、自分のものではなく、共同性の中にあるものだと述べている1)。また、自分という存在自体もあやふやなものであり、それを意味で埋め尽くすために記号化していくこと、符号すなわちコードへの偏愛について言及している。顔は絶対的な意味を持つものではなく、「世界について、あるいは自分たちについての解釈のコードを共有する者たちのあいだではじめてその具体的な意味を得てくるような現象」1)なのである。

 商業では、他者(他社)との差異をどのように作り出すかが売り上げにつながることから、ブランドそのもののなかには価値を保証するものはないと考えられる。経済という共有のコードの中で、ブランディング、すなわち他との差異を作り出していくことで自分たちの立ち位置、つまり内外の境界を作り上げているのである。まちを歩く中で、人は商業施設の顔を無意識に読み取ることにより、商業施設を区別し、それぞれのブランドを認識しているのではないかと考えた。

 

― 建築空間と「顔」の相似性

 空間を定義する際、しばしば主客の関係性が問題となる。

 原広司は、デカルトの提唱した空間概念が、近代の建築に大きな影響を及ぼしたとしている2)。それは、様々な意味が捨象され抽象化された空間であり、主体が客体に対して純粋に働きかけることができる。この空間を体現したのが、ミース・ファン・デル・ローエである。その空間は、管理者の都合により主体と客体の関係が設定され、人の主観的な感覚が置き去りにされた機械的なものといえる。

 フッサールの現象学では、主体の外部にあるもの、主体にとって異質なものが主体の意識の対象となるとき、それは主体の中に併合されてしまう。すなわち、主体の外部が主体の内部へと反転してしまうのである。隈研吾はフッサールの思想を体現した建築家としてハンス・ホラインを挙げている3)。「すべては建築である」と宣言したホラインは、主体を取り囲む環境すべてが建築であるとし、環境を主体の感覚によって生成される主観的なものと定義した。近代の空間概念を乗り越えようとしたホラインのこの宣言によって、建築はデカルトからはじまる物理的に束縛された近代の空間概念から解放され、同時に管理者という第三者を排除したが、依然として、主体と客体の関係は固定的で一方向であった。

 一方、レヴィナスは、真の意味での外部性、あるいは根源的な他性は、「対面」のなかではじめて現出すると述べている4)。すなわち、「顔」とは主体と外部を分けるものであり、外部の存在を表象する「現象」なのである。主体は他者の顔を通して成立するものであると同時に、他者から見られることで主体は客体ともなる。このことより想起されるのが隈が参照したフランク・O・ゲーリーの語る建築の定義である。ゲーリーは、「建築には窓があり、彫刻には窓がない」と建築と彫刻の違いを表した。この定義は、内部空間という曖昧な概念に代わるものとして紹介されているが、それ以上に主体と客体が一方通行の関係性をもつ機能主義的な文脈から建築を解放するものであることに重要性を見出すことができる。

 

― 「顔」の文化

 文化的な顔という点から考えると、人間は顔に様々な操作を施し記号を与え、一つの仮面に落とし込んできた。化粧や入れ墨、お歯黒、眉そりなどがそうである。お歯黒は歯並びを分からなくし、口元の印象を極力弱くしている。また、眉そりは、表情に変化を与える眉をそってしまうことで感情表現にとって大きな要素を隠してしまう5)。顔にある多くの要素一つひとつが情報を発信している。その情報量はあまりにも多すぎるため、普通、人はそれを把握しきれず不安に陥る。社会を形成するにあたってそれでは不都合であるので、人々は、顔に様々な操作を施し、読み取りやすい形に落とし込む。鷲田はそれを「<平面>へのトポロジカルな変換」1)と述べている。

 先ほど触れたようにブランドそのものの内部から確固たる個別性が現出することはない。まちの中でこれと認識し店内に入ってもらうには、ブランドをハードとして対象化、つまり物質的な平面への転換を施し、内外の境界や差異を形作ることで、対面という形での顔の経験を引き起こす必要がある。建築家は顔を作ることで、ブランドを都市の中に顕在化させてきたのではないだろうか。

 様々な情報をもつブランドを分かりやすい形に落とし込むことでまちや人との接点を作り、他社との競争の中で個別性を作り上げていくことが、建築家の役割であり商業建築の課題である。ルネサンス期においてアルベルティなどが建築物に対して都市の顔を与えたのが建築家の始まりではないかともいわれている。また、昨今、有名建築家がファサードデザインのみを担当し、まちに対するインターフェースを形作ることが多くなっていることも建築における顔の重要度を表す例となっている。

 建築や商業と顔は切っても切れない関係にあると思われるが、顔のあらわれ方は時代や文化によって異なっており、表立ってはその関係が見えないこともある。そこで、時代ごとに商業建築の形態や商業そのもののあり方、都市の変化を研究していくことで、商業建築にどのような顔が与えられようとしてきたかを考察していく。

座談会に先駆けて「顔」に関する研究

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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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17
特集:建築を生成するイメージ
2014.10 | 112p
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
​竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
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15
18
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2017.10 | 112p
インタビュー:五十嵐淳
三谷純,奥田信雄,魚谷繁礼,五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,​大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男, 
Galyna SHEVTSOVA
インタビュー:野又穫
2016.10 | 128p
野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
​竹山研究室「無何有の郷」
​竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
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16
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中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
​竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
2015.10 | 96p
インタビュー:石山友美
14
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2013.10 | 120p
特集:アートと空間
松井冬子,井村優三,豊田郁美,
アタカケンタロウ
竹山研究室「個人美術館の構想」
​竹山聖,布野修司,小室舞,
中井茂樹