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【座談会】建築史家 倉方 俊輔

     イオンモール(株)開発本部 企画開発部長 高須賀 大索 

     建築家 西澤 徹夫

    

    

     商業建築の「顔」をなすもの

​  Is there any face when architecture meets retail ?

聞き手:石井 一貴、河野 佳奈、小坂 知世、濱田 叶帆、菱田 吾朗

2018.8.3 京都大学桂キャンパス 竹山研究室にて

「日本の商業建築には顔がない」とある人は言います。本当にそうなのでしょうか。

建築の「顔」とは何か。商業において建築が果たしてきた役割とは。

商業建築に関わる方々と、日本の都市や商業、そして商業建築の歴史を紐解きながらその「顔」について

再考します。

 

― 商業の次のかたちとストーリー

西澤—僕は岐阜出身なんですけど、高校生の頃にも今と一緒で駅前に問屋街があったんですね。でも、すごい寂れてたんですよ。その寂れてたところが最近すごくいい雰囲気の飲み屋街に変わっていて驚きました。一回そういうふうに廃れてしまっても、問屋街や工場街だった古き良き雰囲気を残しつつ、それを補完する何かを少し足したようなものができると魅力的ですよね。

 

高須賀—リノベーションでいえば、イタリアのEATALYという飲食の業態が食品の倉庫だった所を店舗にしていて、その場でいろいろなものを買って食べられるのですごく面白い。そういった業態は、食のストーリーがある所をリノベーションしてそういう店舗を入れたりするんですよ。日本だとこれから旅行者が増えて、インバウンドだとかがもっともっと増えるじゃないですか。そうすると、時代や歴史、生活文化、地域につながるストーリーが必要なんですよ。「モノからコトへ」から、次は「コトからモノへ」がもう一回来る部分があると思うので、ストーリーが要るときにここの場所がこういう場所なんですって言えたら、その時点でもう半歩進んでるんです。どこにでもある商業施設のボリュームを増やしてもだめなんですよ。逆に図書館などの違う機能を入れるほうがうけて、学生が勉強をしに来たり、親も「モールに行ってきなさい。」って言うようになるんです。そうやって次のライフステージに合わせて機能を増やして記憶や記録をつくっていかないと、ショッピングがネットでできるようになったら店舗が求められる役割も変わります。もう一点指摘したいのは、多感な時期をモールで過ごした団塊Jr(ジュニア)世代にとっては、実はモールは記憶や歴史そのものだということなんです。モール内で子供や家族、親戚、友人、そして地域、様々なドラマや苦労を味わい共有している。加えてミレニアル世代になると、その傾向はもっと強まる。彼らは私たちと違って、レコードやカセットテープという原体験を持ち合わせていないという事実は無視できないと思います。例えば、UDSというまちづくりにつながる事業を手掛ける会社がつくったシェアハウス。魚屋さんがオーナーだった所を建て替えたんです。キッチンがものすごく充実しているので料理が好きな人が集まる。実際には下は魚屋からカフェになってるんですけど、上に住んでいる人はコーヒーを毎朝一杯飲める。そういうライフスタイルが好きな人が集まるシェアハウスなんです。この事例から考えてみると次は、ジムやフィットネスがあったり、トレーナーの人がやるシェアハウスなんかがあってもいいかもしれない。尖がっていくと、そういうところでハプニングのように面白いことが起こるのかなと思っていて、将来的にそういうのを積み重ねていったところに人がどんどん集まってくるといった構図ができるといいですね。だから、そういうことを考えると、次の時代の「顔」の概念って建物の中に収まっていないんですよね。つまり、顧客の体験価値や空間価値、もっと言えばユーザーエクスピアレンスやプレイス性を伝えることを主軸にデザインし、結果として建物ができあがるのだと考えています。

西澤—もう延々その議論をしていますよね。

 

高須賀—そういう意味で、さっきのハモニカ横丁は僕も大好きでいいなと思うんです。顔をつくろうとしてないのに顔になっているみたいな、認知そのものが直観的で、「ただそれがある」みたいなものをつくりたいとは思いますね。アフォーダンスの概念のように。

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倉方—モノとヒトの関係性さえあればいいと私は考えていて、やっぱりモノだと思うんですよ。モノとヒトが出会うっていうことがすごく大事。だから、イオンモール堺北花田の無印良品は好きです。無印良品しかできないものがあるんですよね。あれほど置いてあるモノが引き立っているスーパーや小売店はそうありませんでした。つまり、成城石井みたいなある種のブランドのパッケージって変わったものは色々あるんだけど普通のものがないとか、逆にイオンそのものとかスーパーそのものになっちゃうと普通のものばかりしかない。無印良品はそのどちらでもなくて、モノを発見しながら

選ぶ喜びがあるんですよ。

 

高須賀—まちが商業化される仕組みができてしまっているので、僕らはそうじゃないフロンティアを探し続けなくちゃいけない。

 

倉方—そのとおりです。僕は吉祥寺出身なんですが、吉祥寺が面白いまちだったのは子供のころで、大学生くらいのころから、地価が高くなってくると結局、大手のチェーン店しか入れなくなるという他の地域と同じ構図になっていった。一方で、ここの交流っていいよねとか自然発生的なのいいよねみたいなことが言われているけれども、それだけだと、廃れゆくけれどもいいとか、チェーン店とは違っていいとか、そういう懐古主義になってしまいかねません。でも、それはおかしい。そもそもこういう闇市が発祥のところって元々は飲み屋が主ではないのですから。元々は商店街のようなもので、魚屋があったり八百屋があったりした。子供のころ、母親と一緒に行ったころのハモニカ横丁はそこに一番美味しい魚があるから行く場所だった。70年代ごろからスーパーとかができちゃって皆そっちに流れたので業態として飲み屋になっていっただけで、横丁=飲み屋というのは最近の話なんですよね。だから、それを過去に転倒してノスタルジーだしそっちが正当なんだっていうのは錯誤だと歴史家としても言いたいのです。今の時代は、全部がある種ジェントリフィケーションされたものだったり、この家賃でこのチェーン店だったら何年で回収できるみたいな、ある意味で最初から計画されたものになってしまっていますよね。その流れに対抗するものが、計画されていないものに対するノスタルジーしかないとするともう時代の流れに負けるしかないから、もうちょっとその間のサステイナブルに面白かったり蛇行していったりするシステムを設計しなくてはいけない。先ほどの例のようにいろいろな建物をリノベーションするなど、多分いろいろな方法がある。特に、ジェントリフィケーションされてしまったり、すべて計画されたものになってしまいそうなところをいかにコントロールしていくかということですよね。そのまちにあった未知のものや直接はお金を生まないものを半ば強制的に残すようにしていかないと、皆が良かれと思ってやっていても、結局、都市はダメになってしまうことが証明されていますよね。だから、どのように都市をつくっていくかのシステムづくりが今すごく大事で、それがこれからの都市計画やまちづくりだと思います。そのヒントがハモニカ横丁にはある。

 

― 顔の必要性

倉方—「顔」として認識してしまうこと自体がもう古いということはあると思うんですよね。だから今日も徹頭徹尾、身体の話をしている。空間のなかでどういうふうにこっちに行きたくなるかとかなんとかって。ズレが生まれているのは我々の頭が古いから。あるプロジェクトに対してすぐに「誰々の作品ですね」とか「ソニーでやったんですね」とかそういう話になる。人間ってどこまでも原始的だから、コンピュータ技術は進んでいるのに、いまだに一つの対象物でないと認識できない。だから、例えば建築に誰々の作品ですよと一個の顔をつけないと納得しないっていう妙なところがある。実はインテリとか批評家や学者のほうがより古臭くて、レッテルを貼って顔を一個にしないと納得できないっていう思い込みがありますよね。

 

西澤—ラベルを貼らないと整理ができないし納得ができない。顔がない人を怖く思うことと似ていて、それは人間の頭とか脳にインプットされた仕組みだからしょうがない部分ももちろんあるんですよね。でも、そういったラベルを付けたり位置付けを決め打ちしたりせずに、もちろん変化も織り込み済みで話ができるかどうかって必要なリテラシーじゃないですか。

 

倉方—目新しさや身体的な心地よさ、情緒的な価値を持った、主体が複数あるものの存在を、とっさに名付けられないからといって否定せずに、後からじっくり考えていく姿勢は非常に大事。でも、それが難しいんですよね。もちろん全ての建築がそうなんですが、特に商業の場合は、ブランド、デザイナー、クライアントそしてユーザーと主体が複数あることがはっきりしているので、建築史とか批評の対象として扱いづらい。これも今まで議論から外されがちな原因だったと思います。

 

西澤—まったくそのとおり。顔が全然分からなくて、本当に扱いづらい。個々のテナントのことについて注目すればいいのか、その集合について言えばいいのか、はたまたパッケージなのか、どこを批評の対象にしていいのか全然分らない。それで商業の批評はなかなか成り立たないんですよね。

 

高須賀—要は発注した側は建築を目的だとは思っていない人間ですし。

 

西澤—クライアントが気にしているのはそこの先の話ですよね。

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高須賀—そこで作りたいのは建物ではなくて、第一印象って言ったら良いのかな。最初の認知の入り口をつくりたいだけなんですよ。イオンモール岡山はまちの顔をつくってくれと言われた例なんですけど、すごく苦労しました。下層階は大阪や神戸に行かずに済む世界をつくるために、ナショナルチェーンを入れました。岡山にはなかったものですね。一方で上層階は、それとは対照的に岡山にしかないものを展開しました。岡山って実はデニムや帆布、学生服なんかのローカルプロダクトが充実していて、そういった「未来の岡山に残したいもの」を集めたわけです。つまり、低層部の大都市ファッション中心の「消費の場」と、上層部の地元のプライドや仲間のモノづくりを応援するといった「創造の場」の複合をした。人の本能的な消費=受動性と、これまたプリミティブな創造=能動性をハイブリッドにしたわけです。そうやって、岡山の中心部である駅前の一等地に皆の集まる「まちの顔」を作り出しました。おかげさまで今も売り上げは結構調子が良いんですよ。なのに新聞に載った見出しは「イオン駅前丸呑み」でした。ショックですよ。本文にはちゃんと地元と一緒に未来を見据えたものをやってるってことは書いてありましたが。

 

西澤—レッテルなんですよね。

 

高須賀—ただそこに認知の入り口として、そうじゃないよと、ここは地元の人たちが集まる場所、ここが自分の場所だと思ってもらえる場づくり=プレイスメイキングを中央に施した。運営も地域との取り組みにかなり力を入れた。僕らからすると、入り口はまず自分の場所と思ってもらえることなんですよ。そのためには、その業態が必要で、その業態を出すときにはその世界観が必要で、空間っていうのはあくまで手段。もちろん手段ではあるんですけど業態と空間が不可分なんですね。なのでハードの話ばかりすると、会社では業態はどうなんだっていう話になり、業態の話ばかりするとどういう空間なんだって、ずっとこの繰り返しなんですよ。業態と空間をセットで考えて伝えてはじめて話を始めることができる。で、そのときの空間の位置づけは顔という意味で考えると認知の入り口だなと。そこはもうハードもソフトもなくて、ぐちゃぐちゃなので多分評価しにくいんだと思うんですよね。空間的には良いと評価されても結果売れなかったらどうなんだとか。結局、空間は手段なので。

 

倉方—今日の話はずっと空間のことです。元気が出ますよね。特に建築の人は。空間というものがあって初めていろいろな業態の人がコラボレーションできたりとか、新しい出来事が起こったりしているわけです。今使っている眼鏡もネットで見ていいなと思っていて、イオンモールの北花田に行ったときに実際見て良かったから買った。今ってそういう時代ですよね。リアルなショップでの出来事でネット上のショップがまた活性化したりだとか。ネットがあるという前提のなかで、やっぱりリアル空間の、その空間の編集の仕方によってそこでしかできない意味がより増大しているといえます。昔は、現場で全部売り切らなきゃいけないだとか、制約があるじゃない。だから、ナショナルチェーンしか儲からなかったけど、今はネットの世界でもプラスになるようなことを現場でやっていけば、別の業態がリアルの空間で生まれていくとわけです。

 

高須賀—販売チャネルというものがあって、リアルで売るのか、ネットで売るのか、それともカタログで売るのか、という販売方法のことですね。昔はチャネルのことはあまり気にしなくてもよかったのですが、今はどういうチャネルにするかを大議論しています。店で商品を見て購買は家でネットから行うショールーミングと、その逆のウェブルーミングを前提とした店づくりが求められています。さらに、そこにアマゾンGoのようなAIを実装したリテールテックが加わる。そういうプレイヤーがこれからどんどん出てくるんです。メディアやチャネルとして建物のリアルな役割が変わったときに、何を推し出すべきかと。商業施設の場合、ファサードは内部のメタファーであるべき、内部空間は体験のためのメディアや媒体であるべき。そう考えると、商業施設はテクノロジーというもう一つのレイヤーを踏まえて、ますます激変していくことが予想されます。その柔軟性こぞが、生活者や時代の価値観と呼応する商業施設の本分なのではないでしょうか。

 

倉方—そのときそのときでリアルなショップ空間が都市の中でのどの位置にあるかということがより重要になってきますね。つまり、そこの場所だからそれが成立するみたいな読みが重要。

 

西澤—なんかあんまり顔の話になってこない。

 

—最終的に、僕らが商業建築の顔という企画をやったこと自体に自己言及的に批判的になっていることがすごく良かったと思います。

 

西澤—アルベルティ云々じゃないんだよ。

 

倉方—顔って考えるところが、まだ古い(笑)。

 

—この研究をしていても、商業建築の顔についてどう捉えていいか分からないままだったんですけど、ぼんやりとしたまま、ざっくり捉えた上でも考えられることが分かったので、本当に今日はいい対談の場だったなと思います。ありがとうございました。

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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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