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【エッセイ】 布野 修司

 ある都市の肖像 — スラバヤの起源

​ Shark and Crockodile

 今一冊の本を準備している。『スラバヤ物語—ある都市の肖像 時間・空間・居住』と仮に題する。スラバヤは、人口約300万人(都市圏人口は1000万人)、東部ジャワの州都であり、インドネシア第2の都市である。最初に訪れたのは1982年2月で、僕のスラバヤ通いは、この夏(2018年8月)1)も含めると、22回(インドネシア渡航は27回)にも及ぶ。スラバヤをフィールドとして学位論文2)も書いた。スラバヤのカンポンにすっかり魅せられた人生となった。スラバヤは、間違いなく、僕の第2の故郷である。このスラバヤの「肖像」を、重層的、立体的に描き出してみたいと思ったのが執筆動機である。

 最初にスラバヤを訪れたこの時から35年,10年後に上梓した『カンポンの世界』(1991)からも四半世紀を超えた。この間、アジアを中心に数々の都市を歩き回った。スラバヤの肖像を描くことによって、この間学んだことを縦横に盛り込む本は書けないか、「時間・空間・建築」ならぬ「時間・空間・居住」をサブタイトルとするのは、意気込みを込めてのことである。既に書き出して悪戦苦闘中なのであるが、ここではスラバヤという名前、その肖像(市章)、その起源についてまとめよう。

1)日本建築学会建築計画委員会夏期研究集会(20180817-25)。スラバヤ他、バリ、ジョクジャカルタ、ジャカルタをめぐる。

 

2)布野修司『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究−−−ハウジング計画論に関する方法論的考察』(学位請求論文,東京大学,1987年)がもとになっている。

― 鮫と鰐

 スラバヤSurabaya(あるいはスラボヨSuraboyo)という名前は,スロ"suro"(鮫)とボヨboyo"(鰐)の合成語という。伝承によれば,スロとボヨは,その土地における最強者の栄誉をかけて戦い, お互いその強さを認め,海はスロの領域,陸はボヨの領域ということで合意した。しかし、ある日スロが餌を追いかけて河口から川を遡ろうとしたところ,内陸に繋がる河川は自分の領域だとボヨは激怒する。スロは,水中は自分の領域だと主張したが,戦いになった。熾烈な戦いの末,スロは敗北して海に退散し,ボヨは河口を制覇した。これが現在のスラバヤ,というのである3)。このスラバヤという名前の「鮫と鰐」説は、広く流布しており、スラバヤ市の市章は,鰐と鮫をSの字に絡み合わせたものである(図①)。そして、スラバヤ動物園前などには,その巨大な彫刻が置かれている(図②)。実にインパクトがあるシンボル(市章)である。一般的に理解されるのは,鮫と鰐の物語が,スラバヤの立地,そして,その歴史において海と陸,外来者と先住者との間で繰り広げられてきた抗争の歴史を象徴していることである4)

 スラバヤ市は,ジャワの最後のヒンドゥー・ジャワ王国マジャパヒト王国の建国を都市の起源とする。ラデン・ウィジャヤがマジャパイト王国を建国するに当たって、海を渡って来襲してきたモンゴル軍を撃退するが、この歴史的な攻防を象徴するのがスロ"suro" (鮫)とボヨboyo"(鰐)の物語である。

 僕の師といっていい長年のカウンターパートであるJ,シラス(スラバヤ工科大学名誉教授)が指摘するが,興味いのは,スラバヤのカンポンの名前の中に,ウォノWonoすなわち森のつく名前とクドゥンKedungすなわち川あるいはクパンKupanすなわち二枚貝、あるいはシモSimoすなわち虎という名のつく名前が複数あることである(図③)。クパンについては、ラデン・シトゥボンドが森を切り拓いた時に二枚貝の巨大な山(貝塚)を発見したという伝承がある。シモについては、ラデン・シトゥボンドが森を切り拓いた際に虎が出てきて追い払ったという伝承がある。すなわち,スラバヤは,川の流域や沿海部にあった森を起源とするのである。

図① City_of_Surabaya_Logo.jpg
図① スラバヤ市の市章
図② Montage_of_Surabaya.jpg
図② スラバヤ動物園前のモニュメント
図③カンポン名.jpg
図③ スラバヤの地名

3)Irwan Rouf & Shenia Ananda. Rangkuman 100 Cerita Rakyat Indonesia dari Sabang sampai Merauke: Asal Usul Nama Kota Surabaya (in Indonesian).

 

4)鮫と鰐が戦うというモチーフについては,12世紀にクディリKederi(カディリKadiri)王国のジャヤバタという予言者が巨大な白い鮫と巨大な白い鰐が戦うと予言したという伝承もある。他に,ジャワ語のスラ・イン・バヤsura ing bayaに由来するという説がある。「勇敢に危機に臨む」という意味である。スロは,サンスクリット語のスールヤsurya(太陽)に由来するという説もある。この説に依れば、インド神話に由来するということになる。

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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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