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【エッセイ】 平野 利樹

 試論―タイムズ・スクエア、エロティシズム 

 Times Square, Eroticism

 

「—広告をこれほどまでに批評より優れたものにしているのは、結局のところ何か。赤く流れる電光文字が語る内容ではない。—アスファルトの上でそれらの文字を映して、火のように輝いている水溜まりなのだ。」*1(ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』)

 偶然巡り合ったこの一文に、僕はハッとさせられた。三年間のアメリカでの生活の最初から最後まで、そして現在も自分を惹きつけてやまないあの場所の本質の一つがそこに描写されていたからだ。ニューヨークのタイムズ・スクエアである。

 2010 年からプリンストン大学建築学部修士課程に留学した*2。プリンストンといってもあまり馴染みのある地名ではないと思うので念のため補足しておくと、ニューヨークからNJ Transit というニュージャージー州を縦断する列車で1 時間半ほど南西に下り、プリンストン・ジャンクションという小さな駅で単線二車両の小さなディーゼル電車に乗り換えて、可愛らしい汽笛の音を聞きながら10 分ほど森の中を突き進むと辿り着く小さな町である。そんな小さな町の真ん中に、プリンストン大学がある。キャンパスの周りに町が申し訳程度にくっ付いていると言った方が適切かもしれない。ゴシック・リバイバル様式とロバート・ヴェンチューリ設計のポストモダニズムの校舎が入り混じる緑溢れるキャンパスの中ではリスが自由気ままに駆け回っている。ここはかつてヴェンチューリやチャールズ・ムーアが学生生活を送り*3、ピーター・アイゼンマンとマイケル・グレイヴスがテニュア(終身雇用)の座を巡って争いを繰り広げた、いわばポストモダニズムの牙城であった(グレイヴスがテニュアの座を勝ち取り、今でも大学からほど近い住宅街に小さなオフィスを構えている)。ポストモダニズムはすっかり鳴りを潜めてしまったが、今でも建築理論教育の中心的存在として、多くの批評家、歴史家、そして理論と実践を両立する建築家達が教鞭を取り、そこで僕が出会った個性豊かな彼らの、その人となり、思想がこのエッセーに少なからず影響を与えている。

fig1) プリンストン大学キャンパス
fig2) 製図室での筆者の作業スペース

 プリンストンでの二年間は寮と製図室との往復であった。ブリトーかサンドイッチを頬張りながら明け方まで製図室に残ってスタジオの準備やゼミのリーディングをし、シャワーを浴びに寮に戻り、少しの仮眠を取ってからキャンパス内の巡回バスに飛び乗って午前中のゼミに急ぐ。スタジオは週三回ミーティングがあり、ゼミも毎回リーディングが山積みになって出てきた。当然息抜きが必要になる。しかしリスが駆け回るささやかな大学町にエンターテイメントは皆無である。一杯引っ掛けるといっても寮の地下の蛍光灯の明かりがうら寂しいバーぐらいしかない。となると街、つまりニューヨークに出ることになる。朝靄が残る静かな土曜のキャンパスから抜け出して電車に飛び乗る。何をするかは特に決めないまま電車は終点のペンシルバニア駅に滑り込み、そして何をするでもなく、ただ街の空気を一日掛けて胸一杯吸込んだ。朝のペンシルバニア駅を降りた時のコーヒーと生ゴミの混じった臭い、ブライアントパークの芝生と肥料の匂いと木漏れ日、地下鉄の狭い通路で時々むわっと立ちこめるアンモニア臭とプラットホームの薄暗さと湿気、ハドソン川からハイラインに吹き込む潮の香りの少し混じった風。

 そんな中でもタイムズ・スクエアの持つ空気は特別だった。マンハッタンを覆う直交グリッドの南北に走る一本である7th Avenue と、そのグリッドを斜めに切り裂くBroadway が交差するエリア一帯を指してタイムズ・スクエアと呼ぶ。そこではありとあらゆるものが電光掲示板に覆われ、ドーナッツからマティーニ、東芝からヒュンダイ、ABC ニュースから新華社通信まで、様々な企業、商品が巨大なディスプレイ上で途切れることなく明滅している。その光は周囲のビルを照らし出し、数ブロック先からではエリア全体の空気自体が発光しているかのように見える。ありとあらゆる人種の観光客がなだれ込み、みな興奮した様子でディスプレイから発せられる光を浴びて、次から次へと移り変わる様々な色に染め上げられる。そして僕はニューヨークを訪れる度にタイムズ・スクエアへほとんど無意識的に足を伸ばしては、このせわしない光景を飽きること無く眺めていた。


 この場所に特別何がある訳でもない。あるのは陳腐な土産物屋やファストフードレストランだけである。ディスプレイに映し出されるものも特に印象に残っていない。それなのに、なぜタイムズ・スクエアの空気はあんなにも特別なのだろうか。そんなことをいつしか思うようになった。またタイムズ・スクエアについて建築の領域から論じたものはなぜか驚くほど少ないことも知って不思議に感じた。しかしそんな数少ない論考の中の一つが、僕の疑問を解く糸口を持っていた。

「アメリカの広告は魅力と興味に乏しい(中略)いっぽう私はブロードウェイの眩い広告をだまって見のがすわけにいかない。そのなかでは怠け者の大群、映画、バーレスク・ショウ、劇の愛好者が動いているあのマンハッタンを対角線に横切る白熱する街路、それは誰もが知っている。電気が支配している、しかしここでは動的であり、白、青、赤、緑、黄、と移りかわる照明で爆発的であり、動くようであり、きらめくが如くである。その背後にあるものはつまらない。このすぐ目前の星座、ひとびとを誘いよせるこの銀河は、しばしばくだらない娯楽に導くだけである。広告はそれだけに悪い!それからまだ現代の特徴である夜の祝典がある。夜の光線がわれわれの心をみたし、強烈で力のある色彩がわれわれを興奮させ、喜びをあたえたことをよく憶えている。そしてブロードウェイの街でメランコリイといきいきとした華やかさとの分裂した感情にかられながら、知的なバーレスク・ショウ―そのなかでは太陽の光による楽園のような投光の下で、白く美しい女の裸体が機智の火からでる―そうしたショウを私はあてどもなくさがしながら彷徨った。」*4(ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』)

fig3) タイムズ・スクエアの現在の様子
fig4) タイムズ・タワー建設当時の様子
fig5) タイムズ・スクエア(時期不詳)

 ここではコルビュジエが、自身の押し進めるモダニズムの信条とは相容れないタイムズ・スクエアを、彼らしいけれんみ溢れる言葉でけなしながらも、その抗いがたい魅力に蠱惑される様子が読み取れる。
 もしかすると、建築が、建築の領域内部の問題とせずに、(意図的だったかどうかはともかく)無視してきたものが逃れた地こそがタイムズ・スクエアなのかもしれない。そのために自分達はタイムズ・スクエアを語る言葉を持ち合わせてこなかったのではないか。しかし、そのような特異点に照明を当てることで見えてくる建築の可能性があるのではないだろうか。そんな考えを出発点として、この場所は僕に建築に関する様々な考えを引き起こしてくれた。

 そもそも「タイムズ・スクエア」という地名は、1904 年に7th Avenue とBroadway が交差してできた二つの三角形状のブロックのうちの南側に地元の新聞社であるニューヨーク・タイムズが本社屋を建設したことに由来するfig4。当時ニューヨークで二番目の高さを誇ったこの「タイムズ・タワー」は街路レベルに掲示板を設置し選挙速報や号外などを道行く人々に発信し、大晦日に新年のカウントダウンイベントとして、屋上に建てたポールから電飾を施した玉が年が明けるとともに落ちるボールドロップも1907 年には始まっている。このタイムズ・タワー建設をきっかけとして周辺エリアには次第に劇場などが集約し始め、そこで演じられるショーの看板や、企業広告もそれに合わせて増加してゆき、現在の姿に至っている。(70-80 年代にはタイムズ・スクエアは荒廃し、その後ディズニーによってエリアの大規模な浄化、再開発計画が実施されるのだが、それについては割愛する*5
 さて、ニューヨーク・タイムズ本社屋として建てられたタイムズ・タワーであるが、建設から程なくして1913 年にニューヨーク・タイムズ社は移転し、その後建物は売却された。建設当初からファサードを覆っていたライムストーンは取り外され、代わりにアールデコ調のファサードが取り付けられ、そして現在でも躯体は建設当時のまま、既存のファサードを覆う形で種々の屋外広告が全面に設置され、その名称を「ワン・タイムズスクエア」と変えている(かつてはその頂部にカップヌードルの看板が惨然と輝いていた)fig6。広告によって建築外面は覆われてしまっているため、窓を設ける事はできず、基本的にテナントの入居は不可能な状況となっている。そして全25 階のうち現在は地上3 階分のみに店舗が入居していて、残りの22 フロアは全て空室となっている。
 では何故マンハッタンの中心の一等地であるタイムズ・スクエアにこのような巨大なヴォイドが人知れず浮遊しているのだろうか。この問いに答えるには、近代以降の建築原理と資本主義社会での経済原理の関係について考える必要がある。

fig6) 現在のワン・タイムズスクエア
1) ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、筑摩書房、1997、p110
2) プリンストン大学建築学部やアメリカ全体の建築教育については以下の拙記事で紹介している。「World Report32 アメリカ留学記1 建築教育に見る日米の差異」、『建築ジャーナル2011 年11 月号』、p53「World Report32 アメリカ留学記2 デジタルツールが建築教育にもたらすもの」、『建築ジャーナル2011 年12 月号』、p51
3) プリンストンの当時の教育システムやキャンパスがどのように自身の『建築の多様性と対立性』にインスピレーションを与えたかが記述されている。ロバート・ヴェンチューリ『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』安山宣之訳、鹿島出版会、1999、p85-87、 p220-221
4) ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』p129-130
5) タイムズ・スクエアの成立や80 年代の再開発の経緯については以下が詳しい。
Lynne B. Sagalyn, Times Square Roulette, MIT Press,2003
『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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