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【エッセイ】 布野 修司

 殺風景の日本―東京風景戦争― 

 A Bleak Japan; The Tokyo Wars on Landscape

― 東京の美学

 東京タワーに登ってみる。あるいは東京新都庁舎の展望室から、さらに新たに出現した新名所東京スカイツリーの展望台から、東京の街を俯瞰してみる。世界中どこの大都市も似たようなものだけれど、東京の景観はとりわけ雑然と見える。ヨーロッパの都市と比べるとその違いは歴然とする。日本橋も東京駅も俯瞰してみれば、雑然とビルが林立する風景の中に埋もれてどこにあるのかわからないのである。新宿御苑や明治神宮などいくつか残された森の緑がせめてもの救いである。
 この無秩序さは一体何なのか。
 東京の景観を考える時、比較対象として、通い慣れたインドネシアのジャカルタのことを想う。この2 つの都市の基礎が造られたのは同じ17 世紀なのである。ジャカルタの前身はバタヴィアというが、「じゃがたらお春」13 の数奇な物語もあって、江戸(日本)とジャカルタとの関係も深い。鎖国(海禁)政策を採っていた日本が、唯一、長崎出島を通じて繋がっていたのがバタヴィアである。
 ジャカルタの人口は、現在1000 万人を超える。ジャボタベック(JABOTABEK、ジャカルタ―ボゴール―タンゲラン―ブカシ)というジャカルタ大都市圏を考えると、さらにはるかに大きい。もっとも、東京も、首都圏として神奈川・埼玉・千葉の近隣3県を加えれば3000 万人以上、日本の人口の4 分の1 を占めるから似たようなものである。
 この2 つのアジアの大都市は「巨大な村落」14 とも言われるように、実によく似ている。しかし、印象はかなり異なる。

 ジャカルタのムルデカ広場に建つ独立記念塔に登ってみる。東京と同じように雑然とした風景が広がる(図6)。でも、美しいのである。理由ははっきりしている。赤い瓦の家並みが一面に拡がっていて、都市全体が赤い。そして、その赤い家並みに少なくない緑が実に映えているのである。赤い家並みの下は、カンポン(都市村落)15 の世界である。決して豊かとは言えないバラックの世界である。美しさは従って物質的豊かさではない。皆が同じようにジャワ島の土で焼いた赤瓦を使っている、ただそれだけのことであると言えばそれだけのことである。それに対して、東京の俯瞰景は様々な屋根の色が混然として白色騒音(ホワイト・ノイズ)化してしまっている。ジャカルタのカンポンを覆う赤瓦は、オランダが持ち込んだもので、ジャワのものとは言えないけれどもうすっかり伝統となっている。カンポンの道は曲りくねり、土地の形も大小様々で、全体としてアモルフに見えるけれど、赤い屋根が全体を覆うことでひとつの世界が表現されるのである。

図6 ジャカルタの赤い風景

 芦原義信は、東京の景観をめぐって、「わが国の首都、東京は、一見、まことに混沌としていて、他の国の首都と比較し、都市計画や都市景観の点でかなり遅れている」と『東京の美学―混沌と秩序―』16 の冒頭に書く。ところがこの一文は、反語的問いかけであって、東京は決して、「混沌」として「遅れている」のではない、混沌の中に秩序があり、東京には東京の美学がある、と主張するのが『東京の美学』である。 僕は、芦原義信17 に建築設計の手ほどきを受けた。少し年上の丹下健三18 のような時代の先端を走る派手な建築家ではなく、手堅い建築家として知られていて、そうした建築家にしっかりしたデザインの基礎を教わったのは幸せであったが、基本は「混沌にいかに秩序を与えるか」ということだったと思う。だから、「混沌のなかの秩序」「混沌の美学」というのは芦原建築論の深化である。
 『東京の美学』に先だつ『街並みの美学』19 においては、「N(ネガティブ)」スペースと「P(ポジティブ)」スペースという概念が用いられる。建築家は、建築物(P スペース)のみに関心をもつけれど、大切なのは建築物と建築物の隙間(N スペース)である、という主張である。N スペース、P スペースによって都市を分析する視点は、博士論文「建築の外部空間に関する研究」(1960)に示されている。都市の地図を白黒反転させて、すなわち、建物を白、隙間や空地を黒に塗ってみると、隙間の重要性がわかる。隙間すなわち都市の余白、中庭であり、広場であり、人々が集う公共的空間となる。この隙間が大事だというのが芦原都市建築理論であった。

 それに対して『東京の美学』は「混沌の美学」を主張する。東京あるいはアジアには、一見、無秩序に見える都市環境のなかに、その生成過程において、ある種の「隠れた秩序」が存在しているのではないか、というのである。「混沌の秩序」「無秩序の中の秩序」という主張と、N スペース、P スペースによって都市が構成されるという主張は異なる。『街並みの美学』はあくまで西欧の都市を前提として組み立てられていた。しかし、『東京の美学』には西欧の都市とアジアの都市=東京は異なる秩序があるという視点がある。実際、東京の景観はヨーロッパよりアジアの諸都市に近い。例えば、中心商店街や盛り場などは、漢字の広告が溢れかえる、香港やシンガポールのチャイナタウンに似ている。また、木造住宅が主である点は東南アジアの諸都市に共通性がある。そうした意味では、日本の景観を考える際に西欧の景観がアプリオリに規範となるわけではない。後の章で、景観という概念をめぐって、風景と生態圏をめぐって、また地球環境と景観をめぐって議論するが、景観はそもそも地域の生態系によって拘束されている。そういう意味では、アジアにはアジアの、東京には東京の景観の美学がありうることを前提にすべきなのである。

 問題は美学である。『続・街並みの美学』ではゲシュタルト心理学に言及されるが、『東京の美学』は、「カオス」「ファジー」「フラクタル」といった諸理論に触発されたという。フラクタル理論は、景観を一定の型や様式として捉える景観論に対して、景観をよりダイナミックに捉えるためのヒントを与えてくれる。視覚的に分りやすいのはマンデルブロ集合20 で、その部分を拡大していくと全体と似たような形が現れるがそれらは互いに異なっている。海岸線や地形、樹木など自然の複雑で多様な形も一定の集合のルールによって生み出されており、それを記述できる可能性を示唆してくれる。すなわち、ディテールにおける秩序が実に多様な形態を生み出すという、あるいは、単純なルールが実に豊かな細部を生み出すという、そういうシステムを具体的に想定させてくれるのである。


 景観についてフラクタル理論が直接応用可能であるかどうかはわからないが、一定のルールに基づいたかたちから実に多様なかたちが生み出される仕組み、ディテールから組み立てていく都市計画の手法を示唆するように思う。具体的に頭に浮かべているのはイスラーム都市の形成原理である21

13 1625 ?~ 1697。南蛮人(イタリア人)と日本人との混血として生まれ、海禁政策によってバタビアに追放された女性。バタヴィアから日本へと宛てたとされる手紙「じゃがたら文」で知られる。バタビアでオランダ東インド会社の吏員と結婚、三男四女を儲け、夫の死後の裁判沙汰でオランダにも渡っている。白石弘子(2001)『じゃがたらお春の消息』勉誠出版、L. ブリュッセ(1988)『おてんばコルネリアの闘い』栗原福也訳、平凡社など。

14 江戸は人口百万人の都市であったが、その面積は広大であり、周辺部では農村的生活が行われていた。このような都市の形態は、城壁のない都市は都市ではないとする西欧世界の都市像に相対するものとして「巨大な村落」と呼ばれる。「巨大な村落」としての東京論に、例えば川添登(1979)『東京の原風景―都市と田園との交流』日本放送出版協会がある。江戸は百万人の都市であったが、その面積は広大であり、周辺部では農村的生活が行なわれていた。「巨大な村落」と規定した東京論に、例えば、発展途上国の大都市の居住地はしばしば「都市村落urban Village」と呼ばれる。アジアの都市と西欧の都市の違いを指摘して「巨大な村落」という言葉が使われる。
15 布野修司(1991)『カンポンの世界―ジャワの庶民住居誌』PARCO 出版局
16 芦原義信(1994)『東京の美学―混沌と秩序―』岩波書店

17 1918 ~ 2003。東京帝国大学工学部建築学科卒業。坂倉準三建築設計事務所、ハーバード大学留学、マルセル・ブロイヤーの事務所を経て帰国後芦原建築設計研究所を開設。法政大学、武蔵野美術大学を経て東京大学教授(1970 ~ 79)。代表作にオリンピック駒沢体育館(1964)、国立歴史民俗博物館(1980)、ソニービル(1966)、東京芸術劇場(1990)など。
18 1913 ~ 2005。日本近代を代表する建築家。藤森照信(2003)『丹下健三』新建築社がその全軌跡をまとめている。
19 芦原義信(1979)『街並みの美学』岩波書店、芦原義信(1983)『続・街並みの美学』岩波書店
20 フラクタルという概念を提唱したのはブノア・マンデルブロート(1924 ~ 2010)である。数学的には、で定義される複素数列{zn} n ∈ N がn →∞の極限で、無限大に発散しない条件を満たす複素数c 全体が作る集合をマンデルブロ集合という。
21 布野修司・山根周(2008)『ムガル都市-イスラーム都市の空間変容-』京都大学学術出版会
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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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18
2017.10 
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2015.1
15
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20
2020.01 
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2020.11 | 
21
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2021.11 | 
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