【対談】 岸和郎×平田晃久

        

 京都で建築と向き合う

聞き手:岩見歩昂、川部佳奈、木下真緒、松岡桜子
2021.8.16 ZOOMにて

──先生方の中で、設計教育をする側の立場になろうと思ったきっかけやターニングポイントはありましたか。

 

岸—— 僕、大学院が歴史の研究室だったんですね。時代的には、1969年に電気工学科に入って、1973年に電気工学科卒業して、1975年が建築学科を卒業する年なんですけど、この年が第1次オイルショックで就職最悪です。役所と商社だけですね、就職先で可能だったの。

 

そんなこともあってみんな大学院にいって、今度は大学院の修士二年を終えるのが1977年になるわけですけど、第2次オイルショックでまた就職ゼロです。それでもう1年留年してて修士やろうってなるわけですけど、その1年が大きかったですね。修士二年の時は組織設計に行くのもいいなとか思っていたわけですけれども、歴史を調べる喜びっていうのを知ってしまったので、教えるというより研究者生活っていうのもいいなと思っていました。

 

 ただ、建築史の研究室ってどこの大学にもあるわけじゃないから、教職のポストがすごく少ない。だから、歴史の研究室でどこか研究者として残りたいって言っても意外にないんですよ。

 

そういうこともあり、やっぱり建築家に対する夢もあって設計者になろうと思うわけです。で、東京の設計事務所で3年過ごした後、川上先生のところに東京で事務所やりますという報告に行きました。そうしたら、君なんかはむしろ教職について、同時に設計をするっていうプロフェッサーアーキテクトの道を目指した方がいいんじゃないかと言われて。それでいろんな縁があっていろんな方をご紹介されて、昔の京都芸術短期大学で教えることになった。

 

だから、僕は最初教育者になるというよりは研究者になりたいなと思っていたタイプなので、積極的に設計教育をしたい、そのために教育者として大学に戻りたいと思ったわけではなかった、っていうのが正直なところですね。

 

平田——僕は東京の伊東さんの事務所にいて、その後独立して、なんだかんだ仕事もあって結構楽しく仕事をしているところに、教える話が舞い込んできたんですけれども。非常勤講師としていろんな大学で教えてはいたんですけど、基本的に設計って教育できるものではないと思っているんですよね。手取り足取り教えてもだめなんだろうな、とどこかで思っているところがあります。

 

だから、そのために京都に教えに行くっていうこと自体、もうすごく躊躇しました。

 

 ただ、さっき岸先生がおっしゃっていましたけど、建築家っていうpresenceを見るっていうこと、 そういう存在がいるっていうことが、建築家っていうトライブ(トライブ=部族の意)を再生産する最も現実的な方法で、すごく大事だと思っていて。僕らのころは高松先生もいらっしゃったし、竹山先生も来て、僕らが建築家になったのはそういった人たちがいたからだとどこかで思っている。直接何か教えてもらったっていうのももちろんあるけれど、建築家なる人が身近にいたという経験がやっぱり、自分たちをつくっているなあというのがあったから、そこだけですね。

 

 だけど、教育っていうのは向き不向きがあって、僕はそんなに向いていると思ってなかったし、今でも思っていないんです。そういう不安はありました。特に教育者として目覚めて、つくる作品がつまらなくなったら、結局建築家としての圧を失うわけです。そうすると建築家としての教育的効果が薄れるという、非常に矛盾した立場に立たされる、そういうのをお前はやるのかっていう躊躇はありましたね。

 

それでも高松さんに、今の若い奴らはどうなるんや、って凄まれると、高松さんもそうやって教えていたんだなと思うし、そういう諸先輩方がいて、自分がいる。設計を常勤として教える立場で頑張ろうと思えたのはそういうことしかないですね。

 

 僕の役割としては、より多くの建築家に接する機会をつくることとか、そのような存在として最もコアな存在であり続けることだと考えていて。今年から VRを導入して、できるだけたくさんの非常勤講師とか、実地で今一番おもしろい住宅をつくっている建築家が来て、その人たちが住宅の批評をするような、そういうのが大事なんじゃないかと思っています。

 

その人が教師として立派かどうかはわからないけれども、わかることも言っていたしわからないことも言っていた、そんな強い感触だけが残るんじゃないかな、って思っていて。

 

 思ったことはできるだけ率直に言うようにはしているし、今自分が一番おもしろいと思っていることをベースに、学生の作品に対して批評したいと思っていて。僕自身が教育的になっちゃったら、本当の意味では教育的ではないんだろうなっていうジレンマを感じながらやっているところはあります。

 

岸さんと講評会に出て面白かったのは、岸さん切るときはむちゃくちゃバサッと切るんだよね。躊躇しないから、断面がパサっと見えているみたいな切り方する。

 

岸——えー、そう?僕すごく優しい人に見えるように語ろうと思っているけどそうかね?

 

平田——いや、優しいですよ(笑)。切られたことにも気づいてない、それくらいバサっと切ると爽やかなんだなと僕は目の当たりにして、いろいろ学ぶことがあって。すごく新鮮だった。

 

 それは、歴史研で建築を設計することを別の時間軸の中で評価するみたいな、別の視点を獲得しているからなのかなと。僕は研究者になりたい思いはあまりなかった。だから、岸さんのような方と一緒に教える機会があって、自分の立ち位置がなんとなくわかってきたような感じもあります。

 

岸—— 僕は例えば、ミケランジェロのラウレンツィアーナ図書館をみるときと、学生の課題をみるときと、何にも変わらないんですよ。だからバサッと切っちゃうのかもしれないけれど。

 

 設計教育ができるのかって話をすると、僕も正直できないよと思っています。自分もされていないし。設計しながら、大学で設計を教えるというポジションにいることで、絶対これだけは守っていようと思っていることがあって、それは、どんなときも建築家として誠実でいようと。嘘をつかない。面白くないと思ったら面白くない。すごく面白いと思うものは積極的にすごく面白い、と言う。自分が発言することに対して誠実であること、誰かにうけたいと思ってこれは誉めとこう、みたいなことだけは絶対しない、それだけ決めていますね。

 

 それぐらいしか、現役の建築家が設計教育でできることってないんじゃないのって思います。逆にいうと、設計するということをプロフェッションにしているから、誠実であり続けることしかできない。

 

もしも僕が純粋に歴史や構造の先生であったとしたら、全然違うコメントができると思うんですよ。でもね、悲しいかな建築家なので、もうできることは限られていて、誠実になるしかない、そういうふうに考えていますね。

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VRの様子

──京都の地で設計を学ぶことについては、どのようにお考えですか。

 

岸——僕は建築とか都市を学んでいる人にとっては、やっぱり都市の中で日常的な時間を送ることがすごく重要だと思うんですね。

 

 百万遍はいいところにキャンパスがあるなあと思っているんですけれども、初めて桂に行って、ここで設計を学ぶっていうの、できないよ、って思ったんですね。誰も歩いてないし、なんか廊下歩いても静かだし、私がイメージするキャンパスではなかった。それで設計やりたい連中を桂に閉じ込めといちゃいかんなあと思って始めたのが宵山ゼミ です。

 宵山の日って、京都が都市空間として祝祭空間に変貌する日ですよね。そういう祝祭空間に変わった都市の中で、都市空間を体験するっていうのをやらせてあげたいと思って。たまたま私の事務所が大丸の裏なので、宵山の時にベースつくりますよ、ということをきっかけにして、東京から建築家に来てもらったりアーティストに来てもらったり、普通だと学生が喋れないような人たちと、その非日常的な都市空間で一緒になる。そこで新鮮な出会いができたらいいなと。しかも都市そのものが非日常的な姿になっている時だから、いつもの四条烏丸とは違う四条烏丸が見える。

桂にいて、あそこで一生懸命設計考えるのもそれはいいのだけど、でも建築を学ぶ学生は街の中に出て行かないとダメじゃないかなと思っているので、年に1 回京都という街が姿を変える日くらいはそれを経験してほしいと、そういうふうな気持ちです。

 

平田——僕らの時も桂キャンパスはなかったので、ことあるごとに理由をつけて吉田でゼミをしようとしたり(笑)、まあ未だに僕はやっているんですよ。やっぱり街の中で建築を考えるっていうのも必要だから。

 

 もう少し時間が経って、桂がちょっとずつキャンパスに近づいていくというか(笑)。 都市空間的な特徴、あるいはキャンパス的な活動をちゃんともって、自発的な活動が生まれる場所として、もう少し成熟していくきっかけをつくるような働きかけもやらないといけないなと。桂の状況を嘆いているだけじゃなくて、っていうのも同時に思っています。

 

 京都の地で設計を学ぶ意義を考えると、京都の学生と東京の学生って、時間の感覚がすごく違うんですよね。ショートタームで結果が出るっていうことに対して明確な意識を持って、努力設定するのは東京の学生の方が圧倒的に得意なんですよ。多分ショートタームで見たほうが、社会的に得をするとは思います。

 

 だけど京都の学生って、もうちょっと長い時間で見た時に意味があるかどうかを、なんとなくじーっと考えているようなところがあって、そこはすごく素晴らしいことだなと。もうちょっと器用になったほうが得をするよ、と言いたくなる時もあるんだけれども(笑)。そういうことを超えて、長い時間軸にちゃんと耐える成果を出せるかを問うている感じは、やっぱり京都の街が持っている時間のあり方みたいなものが、勝手にそういう思考性にさせると思っていて。

  

 僕自身も、すこし先を見て考えている感覚は、東京で建築を学んだ人たちと違うと思っていて、 それはすごく良かったなと。損している部分もあるかもしれないけど、非常に特殊性を持ったものの見方に繋がるのではと思っています。時代的には情報がすごく等価に与えられているから、どんどん平準化していく傾向があるとは思うんですけど、京都のもつ時間のあり方を身に引き受けて生きていれば、良いことあるんじゃないかなって思います(笑)。

 

岸——京都の学生と東京の学生との比較、全く同感ですね。同じ時間が流れているとは思えない。やっぱり京都の大学って時間の流れが10倍ぐらい遅い気が体感的にはしますね。だったらそれを活かせばいいのかなと思います。

留年のすすめじゃないけれど、僕自身は大学に9年いましたから。でも京都大学って時間がゆっくり流れているので、転学科してみたら留年している同級生がたくさんいたり、自分より年上の 8 回生がいたり。何回生だか分かんないんだけど、そういう人の居場所がキャンパスの中にある、というのは京都大学のすごく良いところじゃないかなと思いますね。

 

 一方で、建築家となった時に京都をベースに設計する、というのは大変なことです、正直言って。経済規模でいうと、広島より小さい街なんじゃないかなという気がしていますね。だから、建築家として生きていくには、そういう場所でどうやって生きていくかを考えるのが一つ。

あと、やっぱり古都であるというのがあって。例えば、前は事務所が大徳寺の近くにあったわけです。大徳寺の近くに事務所があるというのはどういうことかというと、今度できた仕事なかなかいいんじゃないかな、自分としてはいい仕事できたなと思って、横見ると大徳寺がある。こんなの相手に建築つくっていかなきゃいけないんだ、っていう絶望的な敗北感があります。

  

 だから、建築家として大学にいる以上、京都という文化的には圧倒的に力のある場所で現代建築をやっていくことの大変さを、正直に、誠実に見せることがいいだろうと僕は思っています。京都のプロジェクトでストラグルしている姿とかそういうのは積極的に見せてきましたね。この街で設計するということは、こんなに大変なんだよ、っていうのを。

 

平田——今の時代のなかで建築設計するっていうときに、僕はまだ東京ベースでやっていて、京都でも教えているっていう状況です。学生の時は、京都ってなんかすげえなあ、で済むけれど、古都のすごさっていうのは自分でつくり始めるとひしひしと感じて。でも逆に言うと、そういう場所で学べていることがすばらしいことなんじゃないかっていうのは思いますね。

 

岸——歴史都市って、いい建築家の数が少ない。例えば、フィレンツェやローマに行ってみるとわかるけ ど、パンテオンとかがある街をベースに、設計事務所をやるということの傲慢さ。それを忘れないようにしたい、僕自身は。歴史都市で、現代の建築家として生きてくってことの気分と大変さと敗北感みたいなものも、せっかく大学にいるんだから、学生に見せていこうというふうには思っていましたね。それがいいことがどうか分かりません。もっとポジティブに見せた方がいいのかもしれないけれども、でもそういう建築がある街で、建築家として生きていくことがどんなに大変かっていうことだけは見せよう。

 

それが建築家として京都にいて、同時に教職についているということの意味だろうと思っています。でも、それは京都だからこそ、そういうようなことが起こっている。そのことを色々な形で感じてくれればいいんじゃないかなと思っています。

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北大路ハウスでの宵山ゼミの様子

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1)現在の京都芸術大学

2)Vertical Review:2021 年度より始まった京都大建築学科の学年縦断講評会

3)2010 年より岸研究室で毎年祇園祭宵山に開催されてきたオープンゼミ。2016 年より平田研究室に引き継がれた。

岸 和郎

建築家・京都芸術大学大学院教授。1950年、神奈川県生まれ。1981年、岸和郎建築設計事務所設立。その後、K.ASSOCIATES/Architects に改組改称。1981年より京都芸術短期大学にて教鞭、京都工芸繊維大学大学院教授、京都大学大学院教授を歴任、2016年より現職。K.ASSOCIATES/Architects 代表。

 

平田 晃久

建築家・京都大学教授。1971年、大阪府生まれ。1997年、京都大学大学院工学研究科修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務ののち、2005 年、平田晃久建築設計事務所を設立。2015 年より京都大学赴任。

『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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2018.10 
19
インタビュー:米沢隆
workshop:
discussion:
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essay:
池田剛介, 大庭哲治, 椿昇, 富家大器, 藤井聡,藤本英子
倉方俊輔,高須賀大索,西澤徹夫
竹山研究室「驚きと喜びの場の構想」
平田研究室「建築が顔でみちるとき」
布野修司,竹山聖, 金多隆, 牧紀男, 柳沢究,小見山陽介
18
2017.10 
インタビュー:五十嵐淳
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三谷純,奥田信雄,魚谷繁礼,
五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,​大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男, 
Galyna SHEVTSOVA
17
インタビュー:野又穫
2016.10 
interview:
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野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
​竹山研究室「無何有の郷」
​竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
16
2016.1
interview:
project:
essay:
中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
​竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
特集:アートと空間
2014.1
14
interview:
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essay:
松井冬子,井村優三,豊田郁美,アタカケンタロウ
竹山研究室「個人美術館の構想」
竹山聖,布野修司,小室舞,中井茂樹
特集:建築を生成するイメージ
2015.1
15
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
​竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
interview:
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20
2020.01 
インタビュー:
   木村吉成&松本尚子
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essay:
​木村吉成&松本尚子, 宮本佳明,伊藤東凌,井上章一
竹山研究室「オブジェ・アイコン・モニュメント」
神吉研究室「Projects of Kanki lab.」
​金多研究室「自分の仕事を好きにならな」
布野修司,竹山聖, 大崎純, 牧紀男, 柳沢究,清山陽平,成原隆訓,石井貴一
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​満田衛資, 蔭山陽太, 鈴木まもる×大崎純
学生座談会
小椋・伊庭研究室
小林・落合研究室
平田研究室
三浦研究室
​井関武彦, 布野修司, 竹山聖, 古阪秀三, 牧紀男, 柳沢究,  小見山陽介, 石井一貴, 菱田吾朗, 岩見歩昂, 北垣直輝
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インタビュー:満田衛資
2020.11 | 
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