【エッセイ】 小見山研究室 修士3回生 石井 一貴

 オオニワシドリのあずまやに見る「仮面」性

図 石井一貴

 ニワシドリの雄は求愛行動として装飾的な巣をつくることで有名な鳥である。ニワシドリの巣には、あずまや無しタイプ・アベニュータイプ・メイポールタイプの3種類がある。今回は、このなかでもアベニュータイプの巣をつくる1種であるオオニワシドリの巣について、江口和洋の『目立ちたがり屋の鳥たち 面白い鳥の生態行動』を参考にしながら、筆者なりに想像を膨らませていきたいと思う。

 オオニワシドリがつくるアベニュータイプの巣は、木の枝などから構成された一対の衝立状の構築物であり、交尾の場所である「あずまや」と、雄の求愛行動の舞台としての「コート」の2種類の空間で構成されている。この「あずまや」や「コート」には鮮やかな装飾が施されている。

 ニワシドリがこのような巣をつくる理由は、彼らの繁殖行動の特徴にある。ニワシドリは基本的に雌が単独で子育てをし、雄は繁殖に際して交尾以外で関与することは無い。つまり、雄は遺伝子の伝達ということでしか繁殖に参加しないのである。そのなかで、雌が様々な雄のなかから一部の雄を選び、その雄がつくった巣の中で交尾をする。雄がつくる装飾的な巣の質がその雄の能力を示しており、雌はその巣の出来栄えを比べることにより交尾する雄を選択しているのではないかといわれている。つまり、この装飾的な巣の出来が雄自身の繁殖にとって一つの重要な役割を担っていると考えられている。

 雌が雄を選ぶ過程は3段階ある。まず、雌は雄の不在時にいくつかのあずまやの質をチェックする。そして、そのなかでも優れたあずまやに訪れて、コートで行われる雄の求愛行動(ディスプレイといわれるダンス)をあずまやの中から観察し、1週間後にさらに厳選した雄の巣に訪れて交尾をする。つまり、最初はあずまやの出来栄えの優劣で雄を判断し、その後、実際の雄のディスプレイをそのあずまやの中から見て確かめる、という2段階の審査があるのである。

 

 以上の報告をもとにオオニワシドリの巣について考察していきたい。そこで注目したのがオオニワシドリの巣、特にあずまやの両面性である。あずまやには、雌をひきつけ雄の能力を示唆するものとしての側面がある。この場合、あずまやというモノそのものの形態や全体性が意味するところが雌によって読み込まれる。つまり、あずまやの構築物がもつ物体性とその意味作用がクローズアップされるのである。その一方で、あずまやは雌に対して雄のディスプレイを見る特殊な視点場の役割も担っている。視点場をつくりそこからの見え方を変えることで、通常時では得られない雄の動きの見え方を実現する働きがあるといえる。ここでは、あずまやというモノが生み出す効果や作用、つまりモノの物質性とそれが生み出す現象がクローズアップされるという側面がある。実際、オオニワシドリの巣では、コートに層状に置かれている装飾物の色があずまやから遠くなるほど大きくなっており、雌がいるあずまやからは錯覚によりすべての層が同じ大きさとなり、コート全体が遠近感のない平面のように見えるようになっているそうだ。その平面に見えるコートの中で雄が踊ることで、雄自身と雄が見せびらかす装飾だけが雌の視界の中で浮き立ち目立って見えるという効果があるそうだ。ここには、あずまやが見られる対象であると同時に、特殊な見る主体を生み出す装置であるという両面性が含まれているといえる。

 

 このような両面性をもつものに「仮面」がある。「仮面」はコミュニティの中に置かれることで象徴性を帯び、その意味するものが共有されることで、コミュニティ維持に一役買う。その一方で、「仮面」はそれを装着する者に対して、物質としての質を発揮し、装着者の身体性を変容させる装置でもある。

 例えば、演劇評論家の土屋恵一郎によると、昔から「仮面」である能面は裏面が大事である、といわれているそうだ。能面には小さな孔しか開いていないので、装着する人からは自分の身体は見えなくなる。すると、能面をつけることによって観客の視線の中に身体と感情を委ねることになる。土屋はそれを受動としての身体感覚の世界といい、能面の裏側はその世界への入り口であると語っている。この受動の身体は、観客の視線の中で成立するものであり、観客と演者の関係の中に距離感や方向性などの意識が生じることを意味している。そういったなかで能では、面そのものよりも、面が生み出した視線が織りなす場所性が重要なのである。そういったことを考えると、「仮面」の象徴性が場所性をつくり出し、同時に、「仮面」の物質性が装着者の身体性とその場所性とを紐づけて一体化させている、ということができる。

 オオニワシドリの場合では、演者である雄ではなく雌があずまやという「仮面」を被るような構成であるという違いはあれど、象徴としてだけでない身体性の拡張・変換装置としての「仮面」のような役割をあずまやは担っている。つまり、雄の能力を示唆するだけでなく、様々な要素が混在する環境下において雌が他に気を取られることなく雄のディスプレイだけに集中することができる装置としてもあずまやは機能している。雄はあずまやとコートを飾り立てることによって自分の世界をつくり、雌はあずまやを通してその世界観を享受するのである。

 

 ここまでオオニワシドリの巣における「仮面」との接点を確認したが、そこには共通する構造が見出せる。「仮面」は、顔を拡張・変換する装置として身体から切り離されたモノである。それと同じように、他のいくつかの鳥が自身の身体の一部を進化させ装飾的に発展させていったのに対して、オオニワシドリは身体から装飾を切り離してあずまやという装置をつくった。ここには大きな違いがある。身体の一部を装飾化していくという方法は、主体と客体がはっきりした関係性において、客観的な質を提示するという側面が大きいように思える。装飾化された身体は記号性や象徴性のようなものを帯びるが、その記号性や象徴性というものは、その読み込まれ方がおおむね観察者の存在自体には依らないものであるといえる。一方で、モノの物質性が生み出す現象には、意識を持った観察者の存在が不可欠である。その物質性がつくり出す現象は、そこにいる観察者が距離感をどのように保ち折り合いをつけるかという、その時々の「今=ここ」での体験によって成立するからだ。そう考えるとあくまで想像ではあるが、オオニワシドリの雌は、記号性や象徴性などの客観性だけでは分からない質を、あずまやを装着するようなかたちで雄がつくり出した主観の中にどっぷり浸かり確かめているのではないか。そこではじめて他の鳥とは異なりオオニワシドリの雄があずまやをつくった価値が生まれてくる。オオニワシドリは装飾的要素を身体から切り離したことによって、その距離の取り方により様々な見方を可能にする。つまり、あずまやを通すことで、雌は物理的にも精神的にも雄との一体感を得るまでにいろんな距離感で捉えることができるのである。そこにはもはや主客の関係を超えた関係性が存在している。身体性を伴いつつ身体と切り離された装置は、見るもの見られるものという関係を緩やかに解体する。ここにおいて、身体の拡張や変換に可能性を見出すことができるのではないだろうか。


 

 最後に、都市に目を向けていきたいと思う。今の都市において、個々の建築に出入りすることを通して様々な場所性の違いを楽しむ、ということは少ないといえる。原広司が指摘するように、多くの近代以降の建築物が、場所性を排除したあくまでモノや人の関係性を容れているに過ぎない容器(=均質空間)となってしまっているからだ。

 20世紀後半に生まれたコンテクスチュアリズムは、こうした場所性の欠如した建築や都市に対して、文脈を浮かび上がらせたり再編することで新たに場所性を取り戻すことを可能にした。その一方で、それを見る視点やその距離感は一定のものであったためにその場所性を享受できた者は多くはなかった。

 そこで、コンテクスチュアリズムを経た今の時代において改めて場所性を取り戻す一つの手掛かりとして、先ほどまで述べてきた「仮面」性を持つ建築に注目したい。それはファサードの表と裏、つまり都市に向いた面とその面の内側において、異なる質の作用を生むような建築である。これはR・ヴェンチューリが発見した、ポシェをもつことで内部と外部のそれぞれの秩序を両立する独立したファサード、とも異なるものである。建築の外部と内部を完全に分け隔てるのではなく、「仮面」のような表と裏の関係性をもった建築の境界のあり方に新たな可能性を見出したい。それは距離を取って見るとアイコンやモニュメントであり、その象徴性によって場所性が生み出されたり見出されたりするものである。と同時にその内側からは、人々が思い思いに身体性を変容させながらその場所性に身を委ねることができるような建築。それが「仮面建築」である。もし個々の建築物が「仮面」性をもつことができたら、それらが建ち並ぶ都市を行き来することに驚きや喜びを見出すことができるかもしれない。付け替えることで様々な人格に変身できる「仮面」のように、様々な建築を訪れてはその特殊な場所性を享受して異なる世界を楽しむことができるような都市。それを実現したのがまさにオオニワシドリの雄たちがつくり出した小さな都市である。その小さな都市の中で、きっとオオニワシドリの雌たちは、様々なあずまやを行き来しながら多様な世界観に身を委ねることを楽しんでいることだろう。筆者もこのような両面性をもつ「仮面建築」やそれらで構成される都市を構想していくことで、建築のもつ可能性を少しでも広げることになればと考えている。

参考文献

江口和洋,『目立ちたがり屋の鳥たち 面白い鳥の生態行動』,東海大学出版部,2017

土屋恵一郎, 『能ー現在の芸術のために』, 岩波現代文庫, 2001

原広司,『空間―機能から様相へ 』,岩波書店,1987

R. ヴェンチューリ, 伊藤公文 訳, 『建築の多様性と対立性』, 鹿島出版会,1982

R. ヴェンチューリ, 石井和紘・伊藤公文 訳, 『ラスベガス』, 鹿島出版会,1978

『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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