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【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太

        

 まちの中の巣

 

  京都における小劇場

ーー「E9」を設立されたきっかけの一つに、京都に5つあった小劇場の相次ぐ閉館があるとお伺いしています。かつて小劇場はどのような役割や関係性をもって、京都の中で展開していたのでしょうか。

僕が「俳優座劇場」に入った時から、「今一番おもしろいのは京都の劇団」という話は東京の業界関係者の間で噂になっていました。そしてある日、そうした劇団にとって代表的な小劇場であった「アートスペース無門館」(その後「アトリエ劇研」)の遠藤さんという女性のプロデューサーにお声がけいただいて、京都で芝居を観る機会がありました。たしかに東京で観ていた演劇よりも、京都の方が遥かに独創的でおもしろい。それから度々京都に行って、演劇を観るようになりました。その後、世界的に活躍することになるダムタイプも既に京都では大きな注目を集めていました。京都の小劇場で上演されている舞台の多くはクオリティーが高く、ミックスジャンルというか、カテゴライズされていない表現も多くありました。学生のまちということもあり、大学の演劇部も多く、有名性よりは実験的でチャレンジングな作品がより好まれるムードがありました。それゆえ、プロセニアムアーチのある劇場よりも「ブラックボックス」スタイルの小劇場が舞台芸術のメインストリームを創っていたのだと思います。

さらにそうした小劇場は、発表の場としてだけでなく作品創造の空間としての役割を担っていました。京都の民間劇場は、貸館としてだけではなく、アーティストに寄り添った重要な存在だったわけです。劇場に目利きがいて、作品づくりのプロセスをわかっているプロデューサーやアートマネージャーがいたからこそ、おもしろい作品やユニークなアーティストが次々と出てきたのだと思います。

 

ーー劇場で作品をつくるという傾向は、東京にも伝播したのでしょうか。

90年代に入ってから、例えば「新国立劇場」や「世田谷パブリックシアター」のように、劇場が作品をつくるというヨーロッパスタイルの公立劇場は少しずつ出てきました。ただそれはほんの一部(おそらく全国の1%ほど)で、ほとんどの劇場は独自に作品を創ったりそのために劇場を使うことはできていません。貸館収入もチケット収入もないクリエーション(稽古期間)に充てる資金源が無いからです。特に税金による運営補助が無い民間劇場は構造的に厳しい経営状況に置かれており、さらに客席数の少ない民間小劇場となると低料金の貸館収入だけでは経営が成り立たないというのが実態です。

そうした中、まさにオーナーの心意気で持ちこたえていた京都の多くの民間小劇場の存在は日本の舞台芸術界においてとても貴重な役割を担っていました。

そうしたことを踏まえて、私が「京都会館」のリニューアルの仕事を受けた時、これで大きな公立劇場といくつもの民間小劇場や京都芸術センターなどが全体として繋がって京都の舞台芸術インフラを整えることができると思っていました。ところが、そんな思いが吹き飛んでしまう事態が突然、降り掛かってきました。

それは「アトリエ劇研」を始め、5つの小劇場が一気に無くなってしまうという深刻なものだったのです。

 

  小劇場の窮地

ーー「E9」の他に、当時京都の小劇場を守ろうとする取り組みはありましたか。

劇場同士で共有された問題意識も無く、アーティスト側としても安く借りられる劇場以外の場所は他にあったので、まとまった運動はありませんでした。そこで大きな危機感をもった有志で独自に動き始めたんです。新しい小劇場をつくるプロジェクトを始めた時に、京都の舞台芸術に関わるアーティストたちに「新しい劇場に対して何を望みますか」という問いかけをする内容でシンポジウムを開きました。「やっぱり安く借りられた方が良い」という意見がある中で、「劇場が赤字になると、結局は場を失うことになる。だから安ければいいっていう話ではないんじゃないか」という人もいました。アーティストの中にも共有財産としての劇場に対する経営的な意識をもっていることが初めて明確になった瞬間でした。税金で支えられている公立劇場は、コロナがあろうがなかろうがどうやっても潰れません。しかし民間劇場はそうはいかなくて、その存続はアーティストと観客によってどれだけ重要かどうかにかかっています。そういう意味で京都の民間小劇場を牽引してきた「アトリエ劇研」が閉館するというのは非常にインパクトが大きかった。目標とする発表の場が無ければ京都で作品を創っていく動機が奪われてしまうので「京都ではもうやれないかも…」という雰囲気が漂っていました。東京に行ってしまったり、公演ができなくなったりした劇団もありました。劇場が無くなるということをアーティストが初めて身近に感じたんだと思います。それからもう一つ、「裏方」と呼ばれる技術スタッフの問題があります。公演が無ければ技術スタッフも活動の場を失います。劇場が無くなるということはハード面だけでなく、創造活動を支える人材をも確保することができなくなり、今後、京都で舞台芸術作品を創ることができなくなってしまうのです。

もちろん劇場だけが舞台芸術の発表の場であるということではありませんが、選択肢が無い中で、その場を小さなカフェや基本的な設備が無い場所で上演することによる作品のクオリティー低下や集客減というリスク、負のスパイラルを招きかねません。

 

ーー人が育ち、活躍できる場を守るために、必要な設備を備えた「E9」をつくられたのですね。

人材の流出は、環境をつくる側の責任だと考えています。京都の小劇場があったからこそ、優れたアーティストや劇団と出会うことが出来、その縁によって今の私の仕事があるので、新しい劇場をつくることは個人的にも恩返しのような気持ちです。「アトリエ劇研」最後の芸術監督であったあごうさとしさん(「E9」芸術監督)も、現代美術家のやなぎみわさん(同副館長)も、何より自身がアーティストであり、劇場の価値や意味を身を以て理解していたからこそ、この問題に対して強い思いがあったのだと思います。また、狂言師の茂山あきらさん(同館長)と照明家の關秀哉さん(同プロダクションマネージャー)は、当初は全く別にこれからの若い世代のために、また伝統芸能の継承にとっても小劇場の必要性に強い思いを抱いて物件を探しておられました。THEATRE E9 KYOTOをつくるプロジェクトはそれまで様々なフィールドで活動し続けてきたこの3世代が出会うことによって、劇場の在り方や方向性が固まりました。

 

  声の可視化、クラウドファンディング

新しい劇場をつくる(リノベーション)ための物件を探すポイントはいくつかあったのですが、とかく小劇場が迷惑施設と思われる原因である「音漏れ」の問題は重要でした。また、100人くらいの収容人数、演出の可能性をより広げるための空間が確保できるということも必要な条件でした。ところが市内にある空きビルや、工場等を探してもなかなか適当な物件は無く、プロジェクトは早々に行き詰まってしまいました。そこで私が京都に来てから個人的にいろいろお世話になっていた不動産会社「八清」の西村社長にご相談させていただいたところ、会社の倉庫として所有されていたこの建物をご紹介いただきました。鴨川沿いに面した角地で両隣は空き地。十分な広さや高さがあるだけでなく倉庫奥にはL字型の空間があり、ブラックボックスに舞台袖を設けることができて更に理想的でした。もう皆、見た瞬間に「ここしかない!」と思いました。ところがその後、この地域の用途が第一種住居専用地域であることが分かりました。劇場を建てるためには京都市による「建築審査会」への特例申請とそれに伴う住民説明会で地元の賛同を得ることが絶対条件ということだったのです。しかも専門的な申請書類の作成におよそ1200万円かかるということが判明しました。それで急遽クラウドファンディング(READYFOR)でそのための資金を集めることにしました。

一般的にクラウドファンディングは、主にSNSを通じて情報が拡散します。短期間での資金調達には他に有効な選択肢が思いつかなかったのですが、結果的にこのクラウドファンディングによってプロジェクトのことが広く伝わり、思ってもみなかった多くの人たちと課題を共有することができました。特に過去、観客として劇場に足を運んでくれた方や、あるいは出演者やスタッフとして舞台芸術に関わった経験のある人たちから心強いメッセージとともにたくさんのご支援をいただきました。クラウドファンディングにチャレンジしたことで、京都の長い小劇場の歴史の中で関わりのあった「潜在的な顧客」が可視化され、応援団が出来たわけです。その結果、当時のクラウドファンディングのアート部門では最高額とも言われる1900万円を超える支援が集まりました。

ただ、ここで集まったのは申請書類を作成するための資金でした。当初、クラウドファンディングが目標額に達しない場合は、プロジェクトを諦めようと思っていたのですが、この結果を受けて、メンバーはもう覚悟を決めなければなりませんでした(笑)。劇場を建てるためにはさらにこの10倍もの資金が必要になります。日本では民間の劇場はパブリックな文化施設として認められていないので、一切の公的支援が無いなかで資金を集めなければなりません。私も、もはや「ロームシアター京都」の仕事と両立させることはできず、このプロジェクトに専念することにしました。

 

ーー1階のホワイエの壁にも、たくさんの支援者の方のお名前が刻まれていますね。

機材購入のための2回目のクラウドファンディングでは、800万円の目標に900万円を超える金額が集まりました。本当にありがたいことに、合計で3000万円近くを支援していただきました。劇場のホワイエには1回目のクラウドファンディングで支援していただいた方のお名前を壁の木材(2階の床材に使われていたものをリサイクルしたもの)に彫り込んであります。「100年続く劇場」を目指すと謳っている以上、消えてしまうことのないようにという思いからです。

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ホワイエの壁材は、50年以上前から既存倉庫の床材として使っていたものをリサイクル。クラウドファンデング出資者の名前を刻み込んだ

 

  パブリックな文化

ーーこれまでの公立劇場と比べると、民間はより自由に企業やお客さんとのつながりを築き上げていけそうですね。

日本では1990年代半ば頃までは、文化庁などによる演劇、音楽、舞踊などの創造活動への公的支援はほとんど無かったので、民間劇場や劇団はチケット販売や民間の鑑賞団体、公立劇場の買取公演、それぞれの支持会員による会費、個人や企業からの寄付や協賛金などが主な収入源でした。なのでパソコンや携帯電話などがまだ普及していないなか、顧客管理やダイレクトメール(郵便)の作成や発送、支持会員との関係づくりは時間をかけて丁寧にやっていました。その後、大きな額の公的支援制度が始まるとその申請のための書類作成が創造団体や公共劇場の制作担当者の主な仕事になりました。とは言え総額が決まっているパイを取り合うことになるので、文化庁の担当者に支援相当と認められるために、いかに上手く申請書を書くかという競い合いになります。本来、アーティストと社会を繋ぐ仕事であるはずのアートマネージャーは、役所との関係づくりのためにその時間と能力を大きく割くようになり、その結果、徐々に芸術と社会とのコミュニケーションが希薄になっていきました。

publicという単語の第一義の意味は「国、官」ではなく「国民、市民」なのですが、日本では、「パブリック〜」は「公共」と訳され、その意味は「公立、官立」が一般的になっています。本来、劇場や美術館などの文化施設はそれが公設であろうと民間によるものであろうとパブリックなものであるはずですが、例えば「公共劇場」というと国や地方公共団体によって建てられた「公設」のものを指します。つまり日本では「公共=パブリック」は「官」が独占しているわけです。これはやはり根本的におかしい。

THEATRE E9 KYOTOでは開館1年ほど前から「民間劇場における公共性とは何か」というテーマで連続シンポジウムを開催しました。私たちの劇場は100%民間ですが、公共性のある劇場であり、ゆえにパブリック=市民のよって支えられるべきだと思っているからです。

芸術は国境や宗教、経済的格差などにかかわらず誰しもが創造、享受できる公共性があるからこそ、その存在自体に普遍性があるのだと思います。私たちは「公共」ということについてあらためて本質的に捉え直す必要があるのではないでしょうか。

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『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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18
2017.10 
インタビュー:五十嵐淳
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竹山研究室「脱色する空間」
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20
2020.01 
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小椋・伊庭研究室
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2020.11 | 
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