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【インタビュー】 「アーキテクチャーフォト®」編集長 後藤連平

        

 

 今、建築をいかに伝えるか

聞き手:三嶋伸彦、齋藤桂、三田沙也乃、小久保舞香
2021.8.14 於 オンライン会議(ZOOM)

 古くから建築家は自身の作品や思想を発信し、新たな仕事に繋げる手段としてメディアを活用した。メディアはいわば建築を「包むもの」であり、その情報が今や無数に私たちを「取り巻いて」いる。建築と社会の関係を視覚化するメディア「アーキテクチャーフォト®」を運営し、日々建築情報を発信する後藤連平氏。


 情報化が進み、建築と社会の関係が移り変わりつつある今、建築活動を発信する目的は何か。氾濫している情報を私たちはどのように受け取るべきか。建築を取り巻く社会の変化のなかで、ウェブメディアの一つのあり方としての後藤氏の取り組みに迫る。

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後藤連平氏 photo©Kenta Hasegawa

 

  アカデミックとビジネスの両面で建築を経験する

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ーー後藤さんがアーキテクチャーフォトを立ち上げるまでのこれまでの活動について教えてください。

 

 生まれは静岡県磐田市です。高校生時代からファッションやデザインに関心があり、その流れのなかでプロダクトデザインを大学で専攻したいと思うようになり、京都工芸繊維大学(以下、工繊大)に入学しました。今は分かりませんが、当時国立大学でプロダクトデザインを学べる学校は、工繊大と千葉大学の2 校しか無かったんです。


 工繊大は当時、造形工学科という学科の中にプロダクトデザインを学ぶ意匠コースと、建築を学ぶ建築コースがありました。そして一年生時には全員が基礎的なデザインの課題に取組み、二年生になった時に、意匠に進むか建築に進むかを決めるという仕組みをとっていました。どちらに進むかは、とても迷ったのですが、様々な建築家が椅子のデザインを手掛けていることを知り、建築設計に進めばプロダクトの分野もカバーできるのではないかと思い、建築コースに飛び込みました。


 三年生の後期からゼミに配属されるのですが、もともと建築設計だけではなく、建築の周辺領域のクリエーションにも興味があったこともあり、エルウィン・ビライ先生の研究室を志望しました。ビライ先生は、1990年代当時『a+u』のエディトリアル・アソシエイトをされていて、ピーター・ズントーの作品集やヘルツォーグ&ド・ムーロンの作品集などもビライ先生の仕事です。また、大学院では古山正雄先生の研究室に入り、形態分析や建築批評などを学びました。古山先生は『壁の探求』などの書籍で、安藤忠雄さんを理論面で支援した批評家として知られていました。


 卒業してからは、東京の組織設計事務所に就職しました。建築雑誌の出版社など、メディアの道も頭に浮かんだのですが、建築の実務を経験しなければという思いが強かったんです。当時はもし出版社等で編集の仕事をするにしても、建築実務の世界を知っていないと作品に深く迫れないのではないかと思い込んでいて。


 組織設計事務所では、分譲集合住宅の設計部署に配属されました。そこは大学院での研究の世界とは真逆の世界で、ショックを受けました。分譲集合住宅は、最初から商品として「何千万円で売ること」が前提となっているビルディングタイプなんです。大学院のようなアカデミックな場で考えていた意義的な建築を追い求めるのではなく、いかにお金を払ってもらえるか、利益を最大化できるか、いかに短い時間で建築をつくるかが求められているんです。


 でも、今から考えると社会というものを知るすごくいい経験だったなと感じています。学生時代、特に意匠系にいると、建築を自分がつくり出した「作品」の側面のみで考えてしまうのですが、マンション設計などに関わると、痛烈に建築の「商品」の側面を意識させられるんです。商品として考えると、独創的な計画を立てたとしても、それがもし買ってもらえないと意味無いですよね。そうなると、ディベロッパーも赤字になって、次から仕事がこなくなります。そういう、建築を「商品」として、ビジネスとして設計をする、ということをそこで実感させられました。


 そのあと、地元にある設計事務所で働きました。ここでは、木造住宅や耐震補強などの仕事をしていて、組織設計にいた時にはあまり感じなかった、設計の仕事でお金を稼ぐということの意味を実感しました。組織の規模が小さいとお金の流れがよく分かるんです。組織設計は、営業部、設計部、構造部などに分かれていて、さらに基本的に大きなビルディングタイプを扱うので、なかなかお金の流れが見えてこないんです。


 このような経験の中で、設計事務所が「どうやったらこの社会の中で生き残っていけるか」という視点が僕の中で芽生えだしました。

 

  建築を発信することの可能

ーーネットでの発信活動はいつから始められたのでしょうか。

 

 ウェブでの発信活動は大学院の時からずっと続けていました。最初に見よう見まねで立ち上げたのは、自身の学生時代の作品を中心に掲載するウェブサイトです。ただ、既にそこで、訪問した建築の紹介や展覧会のレポートなども行っていたんです。その後、より閲覧してもらえるように考えて改良を加えたのが、自分がヨーロッパに行った際に撮ってきた著名建築の写真などをアップするウェブサイトです。これをさらに改良して現在の建築メディアのスタイルになっていくのですが、当時はそれが仕事になるなんてことは考えてもいませんでした。

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建築写真紹介ページ
ウェブサイト開設時2003 年の作品レビューページ

 ただ、ずっと発信したいという気持ちはあって、社会に出てからも設計の仕事と同時並行でウェブを使っての発信を行っていました。例えば、昼間会社でマンションの設計をして、仕事から帰ってきて、夜にウェブサイトの更新や発信をするみたいな。半ば趣味的にですが、ずっと続けていました。


 2007 年に「アーキテクチャーフォト」という名前にあらためて、“ 建築と社会の関係を視覚化するメディア” として発信活動を始めました。アーキテクチャーフォトの認知が高まるにつれてだんだんとその比重が増していきました。浜松にいる時からアーキテクチャーフォトの業務に本腰を入れはじめていましたが、本格的にメディアとして活動したいと、2018 年に東京に引っ越してきて、今に至ります。一つのことに専念していたというより、設計の仕事をしながら、並行してネットの発信をしていた点が独特かなと思います。

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2007 年当時のウェブサイト

ーー建築を学ぶ一般的な学生とは興味の方向性が大きく違いますね。設計コンペに応募したり、研究に没頭していたり、というのがメジャーなイメージなのですが。

 そうですね。大学院では同級生の多くが建築のアイデアコンペに応募していました。でも、僕はそれに対しては何故かモチベーションが沸かなくて。もちろん、建築家になるためには設計コンペで受賞歴を重ねていくことが大事だとは分かっていたのですが、それをやるよりも、見に行った建物の写真と感想を自分のサイトにアップして、アクセス解析を見て何人が見てくれたという反応の方が面白くてやめられませんでした(笑)。一個人が部屋の中でつくったコンテンツを世界中の人に届けることができる。そんなところにインターネットの面白さと可能性を感じていました。

ーー建築の情報発信をするにあたって、影響を受けたものはありますか。何かきっかけがあったのでしょうか。

 現在、武蔵野美術大学の教授をされている菊地宏さんという建築家の方に影響を受けました。その方は僕よりも年上ですが、学生時代から自分のウェブサイトをもっていて、ヨーロッパに建築旅行に行った時の写真や学生時代の作品を載せていました。それがすごく面白くて、印象的でした。


 その時はまだ、僕も独立して建築家になりたいと思っていましたが、直観的に、自分が独立する頃には、インターネットで自分の仕事を発信する時代がくるんだろうなと思ったんです。当時はウェブデザイナーのような仕事が確立していなかったので、独立した時にまずは自分でホームページがつくれないといけないのではと思いました。


 レンタルサーバーを借りて、Dreamweaver というウェブデザインをビジュアルで行うことができるソフトを使って自分のサイトをつくりレンタルサーバーにアップしたんです。その過程は、すごく楽しくて、可能性を感じた瞬間でした。


 それだけネットに面白みを感じて魅了されたのは、2000 年前後という時代が、インターネットの黎明期だったからだと思います。生まれた時からインターネットやスマートフォンがあって、物心つく時から持っていたら、当たり前すぎて、可能性も何も感じないのではないでしょうか。

 

  インターネットの世界に魅了される

ーー学生時代のご友人のなかで、インターネット活動を一緒に始めたり、教えてくれたりした方はいらっしゃったんですか。

 

 周りにはあまりいなかったんですけど、同時期にネットの面白さに気付いていて発信していた建築学生は日本全国に何人かいました。当たり前ですが、ネットの良さって、距離が離れていても、同じことに面白みを感じている仲間がいることを感じられるところですよね。


 そういう人たちが立ち上げたブログやサイトを見つつ、自分も更新していました。彼らとも交流はありました。Twitter のようなリアルタイムでインタラクティブな仕組みではないのですが、BBS(電子掲示板、Bulletin Board System の略)という仕組みがあったんですね。BBS を自分のサイトに設置すると、そこに訪問してくれた人が感想を書いてくれて、それに対してコメントができる仕組みになっていて、その中でやり取りしていました。

ーー発信を始めた当初からサイトの閲覧者数は多かったのですか。その数が一気に増えたタイミングのようなものはありましたか。

 意外にも、立ち上がりの当初から見てくれる人はいました。というのも、その当時はウェブサイトの数が圧倒的に少なかったんです。あと現在では当たり前の、Google のワード検索からサイトにアクセスするという仕組みも一般化していませんでした。


 当時はYahoo !のディレクトリ型の「Yahoo !カテゴリ」というものがあって、申請して審査に通過すると、リストに登録されるんです。そして、建築カテゴリだとこういうサイトがあるよと Yahoo !のページに掲載されるので、多くの人がそこから様々なウェブサイトにアクセスしていました。そこに運よく登録されたこともあり、ビュー数はゼロではなかったです。


 もう少しあとの話ですが、こんなこともありました。地元に藤森照信さんの「ねむの木こども美術館」が出来た時、見学に行って公道から外観の写真を撮って、雑誌に出る前にサイトに載せていたんです。そうしたら突然イタリアの出版社「domus」から、フィーを払うから写真を撮ってきてくれないかという依頼のメールがきたんです。


 僕のことを建築写真家だと思ったようですね。それもウェブサイトが少なかったからこその出来事だったんだと思います。今であればプロの写真家みんなが自身のサイトをもっているので、依頼先はすぐに見つかると思うんです。初めての経験なのでやり方も分かりませんでしたが、藤森さんと学園に許可をいただき撮影を行いました。デジタルカメラも普及していなかったので、35mm のポジフィルムで数百枚撮影したものをイタリアまで送りました。現像するまでしっかり撮れているか分からないので、その夜は眠れなかったことを憶えています(笑)。実際に誌面に写真が使われたのを見た時は嬉しかったですね。


 そういう意味ではウェブでの発信を始めるには幸運な時代だったと感じます。


 いろいろな経験をするなかで、自分が書いたものや選んできた情報が世界中に発信されて届いていることを実感しました。今振り返っても、僕は自身が発信したものを見てもらうことにすごく喜びを感じる人間だったんだろうなと思います。

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イタリアの建築雑誌「domus 906 号」
『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
BACK NUMBER
18
2017.10 
インタビュー:五十嵐淳
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essay:
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16
2016.1
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2014.1
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2015.1
15
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ダイアグラムによる建築の構想
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interview:
project:
essay:
20
2020.01 
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学生座談会
小椋・伊庭研究室
小林・落合研究室
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インタビュー:満田衛資
2020.11 | 
21
ABOUT
インタビュー:
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essay:
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2018.10 
19
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池田剛介, 大庭哲治, 椿昇, 富家大器, 藤井聡,藤本英子
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平田研究室「建築が顔でみちるとき」
布野修司,竹山聖, 金多隆, 牧紀男, 柳沢究,小見山陽介
22
2021.11 | 
インタビュー:藤江和子
interview:
 

project:
 
 

 essay:
山岸剛,後藤連平,
岸和郎×平田晃久,
竹山聖×小見山陽介
​平田研究室
ダニエル研究室
高野・大谷研究室
西山・谷研究室
布野修司, 古阪秀三, 竹山聖, 大崎純, 牧紀男, 柳沢究, 小見山陽介,大橋和貴, 大山亮, 山井駿, 林浩平
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