【インタビュー】 写真家 山岸剛

        

 現像された都市 モノ語りを聴く

聞き手:加藤安珠、中筋晴子、西田造
2021.9.9 Zoomにて

 

  東京を撮っていてーオリンピックとパンデミックー

ーーコロナ禍によって写真の撮り方などに変化はありましたか。

基本的に変化はありません。さきほども申しましたが、写真はやはり具体的な個物を、あるいはモノに即してしか撮ることができません。もちろん震災、原発事故そしてパンデミック以後、同じ写真が以前とはちがう読まれ方をされるということは大いにありえますが。

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写真6 2021 年6 月25 日、中央区築地、築地市場跡、東京都築地ワクチン接種センター

『東京パンデミック』刊行以後、引き続き取り組んでいる東京の写真をご紹介します。まずこれは2021年6月25日に撮影した築地の写真です【写真6】。この写真の画面左手をさらに南下していくと、オリンピック選手村に行き着きます。選手村と都心部を直線でつなぐべく、築地市場は取り壊されたわけです。当時、この築地市場跡の巨大な空き地は、新型コロナウイルスのワクチンの大規模接種会場になっていました。先の本でも「東京オリンピック・パラリンピック」に「パンデミック」を添えて、「トーキョー、オリンピッ​

                  ・・・・

ク、パラリンピック、パンデミック」と韻を踏むようにして書きましたが、まさにこの写真では、オリンピ

ックという祝祭とパンデミックという疫病が、トーキョーという都市で出会っている。

 

私が本でそんな風に韻を踏んで読んだのは、2020年の8月に品川の「日本財団パラアリーナ」という東京オリンピック関連施設の駐車場が、コロナ感染者の療養用のプレファブ小屋で埋め尽くされている光景を見てのことでした。このとき私は、オリンピックに関するさしたる背景知識もなく直観で、このように韻を踏んで言葉にしたわけです。しかし、これも先の今福龍太さんと対談した時に教えていただいたのですが、古代ギリシャにおいて、都市アテネで原初、オリンピックという祝祭が執り行われた背景には、トロイア戦争の戦没者を弔うと共に、どうやら疫病すなわちパンデミックがあったということでした。つまり都市において、オリンピックとパンデミックが出会うのは、ほとんど必然と言ってもいいのではないか。トーキョーで、オリンピックとパンデミックは2021年、出会うべくして出会ったのではないか。東京オリンピックをひと月後に控えたこのとき、築地市場跡を見下ろす駐車場の最上階でこの光景を見て、私は思わず身震いしました。今ここの、この東京が、都市というものの根源的な、ほとんど神話的な時間に触れているのを目にしているようで、思わず震えたのです。

 

その意味では、この「トーキョー、オリンピック、パラリンピック、パンデミック」に決定的に欠けているのは死者たちであるといえます。2011年3月の震災であるとか、新型コロナのパンデミックによる死者の追悼という卑近かつ具体的なことをいっているのではありません。東京という、すべてをコントロールし尽くそうとする都市には、死者という他者あるいは死という自然が欠落しているように思われるのです。

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写真7 2021 年5 月29 日、江東区海の森

もう一枚のこの写真【写真7】は、東京を南の端から見返した、いわば東京の全景です。画面奥に林立する東京の建築群の手前の、この海の面(おもて)のざわめきとひしめきを見てください。これこそが「モノ」だと思います。この波立つ表面、この震えに目を凝らすと、この都市が排除してきた死者たちの声が聞こえてくるように思われるのです。これこそが「モノ語り」を聴く、ということだと思います。この二枚の写真は、11月から、東京の赤坂で大きくプリントして展示¹⁰する予定ですので、ぜひ実物を見てください。

ーーどちらの写真も震えるような光景です。このような体験は肉眼では得られませんよね。

私もこの写真を仕上げて、紙にプリントした時には思わず息を呑みました。写真はexpressではないと言いましたが、写真はやはり、あとで驚くんですね。もちろん撮影をしているときはこの光景に反応して夢中で撮るんですが、そのあとで、プリントして、写真をモノとして眺めたとき、そこに在るものに、はじめてのように驚きます。

 

  都市の自然、コントロールされる都市

ーー昨今、環境技術が発展して、緑化をした建築などもよく見かけるようになりました。それらもある意味では自然といえるのでしょうか。山岸さんにとっての自然とはどのようなものか、お聞かせください。

専門的なことは分かりません。たしかにオフィスビルや商業施設で植物や植栽が溢れ返っているのをよく見かけます。だけどこれらはすべて、人間によってつくられたもの、人間のためにつくられたものですよね。つまり、人間のための自然。人間によって、人間が意図して、人間が計画してつくった自然。既に馴致された、コントロールされた自然です。その意味では、都市ではあらゆるものがことごとく人工物であって、自然でさえも人間がつくったものだといえる。だから反対に「自然とは何か」と問われたら、山川草木といった文字通りの自然物ではもはやなく、人間が意図してつくったのではないもの、人間が意識的につくったのではないもの、計画してつくられたのではないもの、それを「自然」というべきではないでしょうか。

 

人工性と自然の力関係を撮る、なんて言ってたら、東京に自然なんてないわけです。自然でさえも、人間によってつくられていた。すべて、あらゆるものが、人間が目的をもって、意図してつくったものになっていた。それしか存在していない、というか存在を許されないような場所になっていた。だから、いわゆる山川草木といった「自然」ではないようなやり方で、「自然」を定義し直さなければならないと思っています。

ーー人工性のための自然というと、庭園のようにコントロールされた自然は昔からありますよね。そのようなものに対してはどうお考えですか。

もちろん、自然をコントロールすることすべてを否定するわけではありません。それを否定したら、人間の生活はそもそも成り立ちません。建築物に植物がたくさんあるのも素晴らしいことだと思います。私自身、植物が大好きで、自宅でたくさん丹精込めて愛でています(笑)。だから大事なのは、人工性と自然の力関係、そのバランス、つまり力の「均衡点」ではないでしょうか。おっしゃった庭園がいいものだと感じるとしたら、それはそこでの人工性と自然の力関係、その力の「均衡点」がいい具合になっている、だから心地いい、ということなのだと思います。そしてさまざまな場所で、その場特有の「均衡点」があるのだし、も

                            ・・・・・

っといえば、その「均衡点」はフィックスしたものではなく、動いていくものなのだと思います。

植物でてんこ盛りの商業施設などを含む、今の東京の風景は、その均衡点が「人工性」に振り切れているように思います。つまりすべてを人工的にコントロールし尽くそうとしていて、それが私にはとても窮屈に感じます。そういう意味では、今私が東京中を車で走り回って風景を精査しているのは、この力の「均衡点」

 ・・・・・・            ・・・・・・

を動かしていくような、よりいいところに動かしていくような、そうした可能性を孕んだ風景を見いだすべ

く仕事をしているのだと思いました。

ーー他の都市、例えば京都はどうでしょうか。

以前京都に滞在したとき、友人のお宅にしばらく泊めてもらいました。時間があるときはそこから周辺をずいぶん散歩しました。すると住宅地で唐突に、名前を聞いたこともないような、かつての天皇のお墓に出食わしたんですね。それもけっこうな数で出食わした。さらにそれは具体的な死者ですらなく、ほとんど神話的な人物が埋葬されている墓なわけです。まちをフラフラしていると、いきなり「古代的」なものがヌッとあらわれて、面食らった。今の東京じゃちょっと考えられない。東京の風景ががんじがらめにコントロールされていて窮屈だと言いましたが、この京都の天皇の墓から考えると、東京にはひたすら「現在」しかない、ともいえるかもしれません。なんだかわけの分からないもの、手の届かないもの、さきほどの「向こう=むかし」じゃないですが、そういったものの手触りがあるほうが、やはりまちとして健康だと思います。

ーーそのような自然との良いバランスを築くためには、どのように都市と付き合っていくべきなのでしょうか。

地震や津波、目下のパンデミックといったいわゆる非常時でなくとも、平時の日常的な風景のなかに、さきほど言った意味での「自然」は在るのだと思います。

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写真8 2020 年7 月12 日、江東区海の森

この写真【写真8】では、ごく日常的な風景のなかに、不定形な塊が転がっています。実際には、ただのアスファルトの残骸です。人間の意図で隙間なく、計画にあまねく貫かれたこの都市に、意図のまるでない、目的のない、「できちゃった」アモルフな、無意識の塊がゴロンと投げ出されるようにして在る。なんてことはない光景です。たいした写真とも思えない。が、私たちはこうしたモノに、今さらのように驚いて、目を瞠るべきだと思います。「自然」に意図はありません。目的もない。ただ、存在している。でもそれが、面白い。いま人間がつくるものより、よっぽど面白い。そしてそうしたモノが世界にはごまんと在ること

                                           ・・・・

を、都市はほとんど忘れようとしている。そうしたモノに驚き、さらにいえば、ある程度それを放ってお​

く。コントロールし尽くそうとしない。そのくらいの度量の大きさ、もっとおおらかな「構え」みたいなも

の。ある種の「諦念」といってもいい。そうしたものを取り戻す必要があるのではないでしょうか。

 

よくよく考えれば、人間も自然そのものなわけです。どうしたって病気になるし、自分の身体は自分ではいかんともしがたい。自分の身体は自分で意図してつくれない。自分の身体は、結果「できちゃった」ものなわけです。そして、どうあがいたって死ぬ。私はかつて、人工性と自然が「対峙する」という言い方をしていましたが、浅はかでした。そんな風に截然(せつぜん)と分けられるものではない。人工性と自然の力関係を見極めながら、その界面を探りながら、目を凝らさなければいけないのは、人間の「内なる自然」であると考えています。

【注釈】

  1. 私写真 : 撮影者の私生活を題材として、プライヴェートな出来事を感傷的に写す写真のこと。荒木経惟の『センチメンタルな旅』(1971)などに代表される。

  2. 鈴木了二 : 建築家。主な建築作品に「佐木島プロジェクト」(1996、日本建築学会賞)、「金刀比羅宮プロジェクト」(2004、村野藤吾賞)など。

  3. 4×5(シノゴ): 4インチ×5インチのシートフィルムを用いた大判カメラ。大判カメラの中でも最も一般的に使用される。

  4. 畠山直哉 :写真家。 自然・都市・写真の関わり合いに主眼をおいた作品を製作。代表作に、『LIME WORKS』(1996)など。

  5. 二川幸夫 : 建築写真家、建築批評家。出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立し、建築専門誌『GA JAPAN』などを発行。

  6. 論評 : https://www.tokyo-np.co.jp/article/105852

  7. 今福龍太: 文化人類学者、批評家。クレオール文化研究の第一人者。著書に『群島―世界論』(2008)『小さな夜をこえて』(2019)など多数。

  8. 西沢立衛: 建築家。妹島和世とのユニットSANAAとしてプリツカー賞受賞(2010)。代表作「森山邸」(2005)、「豊島美術館」(2010)など。

  9. 西片建築設計事務所: 2000年、小野弘人・西尾玲子・森昌樹によって東京に設立された建築設計事務所。

  10. 東京赤坂にて出版記念展示を開催中: https://littlehouse.tokyo/exhibition.html

山岸剛 Takeshi YAMAGISHI
 

Takeshi YAMAGISHI, born in 1976, is an architectural photographer. He studied at the Faculty of Political Science and Economics and the Department of Spatial Imaging at Waseda University. He reflects upon human nature through architectural photography, by observing and recording the power struggle between buildings as the manifestation of artificiality, and the nature which confronts it. He was a member of the Editorial Committee of the Journal of Architecture and Building Science and the Journal of the Architectural Institute of Japan (2010-11), and was the photography director of the Japanese Pavilion Team at the 14th International Architecture Exhibition of the Venice Biennale in 2014. He is the author of "Tohoku Lost, Left, Found" (LIXIL Publishing). His recent publications include "Tokyo Pandemic: The Rise and Fall of a City Captured by Photography" (Waseda University Press).

『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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2018.10 
19
インタビュー:米沢隆
workshop:
discussion:
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essay:
池田剛介, 大庭哲治, 椿昇, 富家大器, 藤井聡,藤本英子
倉方俊輔,高須賀大索,西澤徹夫
竹山研究室「驚きと喜びの場の構想」
平田研究室「建築が顔でみちるとき」
布野修司,竹山聖, 金多隆, 牧紀男, 柳沢究,小見山陽介
18
2017.10 
インタビュー:五十嵐淳
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三谷純,奥田信雄,魚谷繁礼,
五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,​大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男, 
Galyna SHEVTSOVA
17
インタビュー:野又穫
2016.10 
interview:
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野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
​竹山研究室「無何有の郷」
​竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
16
2016.1
interview:
project:
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中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
​竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
特集:アートと空間
2014.1
14
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松井冬子,井村優三,豊田郁美,アタカケンタロウ
竹山研究室「個人美術館の構想」
竹山聖,布野修司,小室舞,中井茂樹
特集:建築を生成するイメージ
2015.1
15
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
​竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
interview:
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20
2020.01 
インタビュー:
   木村吉成&松本尚子
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essay:
​木村吉成&松本尚子, 宮本佳明,伊藤東凌,井上章一
竹山研究室「オブジェ・アイコン・モニュメント」
神吉研究室「Projects of Kanki lab.」
​金多研究室「自分の仕事を好きにならな」
布野修司,竹山聖, 大崎純, 牧紀男, 柳沢究,清山陽平,成原隆訓,石井貴一
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​満田衛資, 蔭山陽太, 鈴木まもる×大崎純
学生座談会
小椋・伊庭研究室
小林・落合研究室
平田研究室
三浦研究室
​井関武彦, 布野修司, 竹山聖, 古阪秀三, 牧紀男, 柳沢究,  小見山陽介, 石井一貴, 菱田吾朗, 岩見歩昂, 北垣直輝
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インタビュー:満田衛資
2020.11 | 
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