【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太
都市の中の巣
【インタビュー】 THEATRE E9 KYOTO 支配人・蔭山陽太
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都市の中の巣
【プロジェクト】小林・落合研究室
地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
教授 小林広英
准教授 落合知帆
助教 宮地茉莉
【インタビュー】 写真家 山岸剛
現像された都市 モノ語りを聴く
聞き手:加藤安珠、中筋晴子、西田造
2021.9.9 Zoomにて
建築空間をどのように撮るのか
ーー建築写真家として建築家と共に仕事をする際に、意識していることはありますか。
建築家と協働する上では、もちろん、まずは建築家の設計の意図を尊重します。その上で、建築物は建築家の意図のみで出来上がるのではないし、ある特定の個別具体的な場所に建ち上がるものですから、そうした設計意図以外のものもひっくるめて写真に定着させたいと思っています。あらゆる意図や要素を、どれか一つだけ突出させることのないやり方で、建築のかたちも、かたちに流れ込むものも、そこから生ずる場の雰囲気もまるごと写真に定着できたら素晴らしいですね。そしてそんな写真を建築家に見せて、これこそ自分が設計した建築だ、と言ってくれたら嬉しいですね。もちろん「建築写真」なんだけれども、撮った写真を例えば建築業界の外にいる人に見せても驚いてもらえるような、そういう写真になるよう心がけています。「カッコいい建築の写真だね、キレイだね」だけでは、私としては満足できないですね。
その上で、建築家が設計した建築作品を撮る場合は、その建築での空間経験とパラレルな、平行するような「イメージの経験」を、写真作品としてつくりあげたいとも考えています。
ーー建築空間と同じような経験を写真で構築するということですが、そのように撮影された作品をご紹介いただけますか。
これは西片建築設計事務所⁹による「淡路町の家」を撮った写真【写真4】です。敷地面積八坪の、とても小さなこの住宅では、建物の真ん中にある階段室を介して、各層2部屋、計8つの小さな部屋が積層しています。各部屋はおおよそ同じ大きさ、同じ仕様でデザインされながら、開口部の位置や壁の傾き、天井の高さなどによって明確に差異づけられています。一つの主題が8回、ズレを孕みながら変奏されていくようにして設計されている。
だからこの建築作品の空間経験においては、ある部屋にいると、そこにある差異=しるしに導かれて、かつていた他の部屋が想起されてきて、意識の上での行ったり来たりをくりかえすことになる。設計者は「同時に行けない場所」と、とても興味深い言い方をしていましたが、「同時に行けない」からこそ意識の上で反省的に、空間の経験的な「広がり」が形成され、それは実際の部屋の「広さ」の感覚を超えていく。
これらの写真は、設計者がしるしづけた、そうしたかたちのルールをそのままなぞるようにして撮影しています。そしてそれら一つひとつの部屋を、一挙に全体として撮るのではなく、差異=しるしづけられた特徴的な部分を、断片として撮っています。つまりよくあるように狭い部屋を超広角レンズでひと息に見せるというやり方ではありません。「部分以上、空間未満」くらいの断片を二枚一組にし、さらにその二枚組と他の二枚組を照らし合わせていく……というようなかたちで写真作品として提示しました。
今回、二枚組の写真を5セット用意しましたが、このように個々の組み合わせを、そして組み合わせの組み合わせを眺めていくと、たとえば額縁が開口部のように見えてきたり、テキスタイルが窓外の緑と連動するように見えてきます。設計者の意図したしるしに導かれて、建物の外部や居住者の家具調度や装飾までもが重なり合い、その重なりのイメージ経験と、空間の経験がパラレルに進行していく。そんな写真作品を目指しました。





写真4 「淡路町の家」(設計:西片建築設計事務所)
2つ目の例が鈴木了二さんの住宅です。
ーーこの写真をはじめ、山岸さんの建築写真にはパノラマが多く用いられていますよね。
はい。実はこの住宅は2回撮影しています。この写真【写真5】は2回目のものです。最初はこの住宅を4×5(シノゴ)のフォーマットで撮影していたのですが、どうもうまくいかなかった。この建築は、あけっぴろげともいえるような漠とした大きさと繊細につくりこまれた細部、あるいは漠たる大きさゆえのフラットな明るさと暗闇、のような通常相容れないものが同時に存在していて、撮影しているときの一方の実感がのちのち裏切られていくような、曰く言いがたい空間経験でした。ぼやっとしてつかみどころがないと同時に細部が際立ってくる。あるいは体を包み込むような過剰な明るさに、差し込んでくるような暗さが、ふいにやってくる。
そんなわけで通常フォーマットのフィルムで撮影した1回目は、なんだかたんにぼやっとした、つかみどころのない写真になってしまった。で、いろいろ考えた挙句、6×12(ロクイチニ)というパノラマフォーマットのフィルムで撮影してみることにしました。このフォーマットだと画面の上下が暴力的にカットされてしまうわけですが、すると茫漠たる空間の手前に唐突にディテールが大きくあらわれたり、満面の明るさの一隅に漆黒の暗部が明滅するようにして見えてきた。いってみれば、反省的な意識の上でのみ同時に存在したものが、フィルムの上でもきちんと存在できるようになった。これで撮れるな、とすぐに分かりましたね。


写真5 「物質試行48 西麻布の住宅」(設計:鈴木了二建築計画事務所)
ーー山岸さんは建築写真を撮っていて、どのような建築が面白いと感じていますか?
うーん、難しいですね……。基本的には今言ったように、個々の建築物に即してしかお答えできません。ただ、いみじくも2つのご質問に2つのやり方で、具体例を挙げてお答えしたように、私の建築写真には2つの系列があるのではないかとも思っています。
先の「田老」や「森山邸」などの写真は、まさに「人工性と自然の力関係」を扱う系列。やり取りされるエネルギーが大きい。対「世界」といっていいかもしれません。
もう一方は、それに対して、対「社会」的なもの。制度的なものを扱う系列というのか、建築なのか建築家なのか分かりませんが、それらの制度、社会的なものの平面の上で、そのゲームを組み替えていくようなやり方。エネルギーの移動は、前者に比較して、さほど大きくない。
対「世界」とか対「社会」とかいうのは、画家のポール・セザンヌをモデルにしてよく考えるからです。セザンヌは一方でルーヴル美術館にひたすら通いつめて、それまでの巨匠たちが築きあげた絵画の約束事、形式的なことを猛勉強する。しかしもう一方で彼にはサント・ヴィクトワール山という、彼にとってはどうにもいかんともしがたい、動かしようのない山すなわち「自然」が厳然と在る。その「異質さ」に挑むようにして、彼はひたすらもがきながら、それを描きつづける。セザンヌにとってルーヴルが「社会」だとすれば、サント・ヴィクトワール山は「世界」。前者が水平軸でのやり取りだとすると、後者は垂直軸的といえる。
対「世界」と対「社会」は、両方共になければならないものです。ただ、現在は「社会」的なものがやけに声高ですから、「世界」的なものに振り切ってしまいたい、そうすべきだという思いもある。また、さきほどお話したカメラというものは、対「世界」にこそ有効だという気もします。
ほとんど思いつきの比喩です。答えにまったくなっていなくてすいません……。
ーー建築家のつくる建築を撮るときに、他に意識されていることはありますか?
その建築について知り過ぎないことでしょうか。もちろん、図面を見たり、下見したりもしますが、作品へのリテラシーを事前に、過度にもたないようにはしています。それこそ建築家の設計意図を把握し過ぎると、それをイラストレートするだけの写真になりかねない。一方で建築家の意図を読めないと、それはそれで仕事になりません。半分理解して、半分白紙のような体勢で、現場で向き合ったときの感じ方や身体の反応を大切にしています。どちらかといえばアタマより、カラダのほうを、感覚を信頼しています。
ーーそのような態度は『東京パンデミック』でも書かれていた、「都市に対してストレンジャーでありたい」という態度とリンクしているのでしょうか。
そう思います。東京という都市に対しては特にそうですね。私にとっては、もう中学生のころから、さんざん見知ったまちですから、ストレンジャーあるいは「異人になる」とも書きましたが、そういう立ち位置に意識的に身を置かない限り、東京で写真を撮るなんてことは難しいと思っています。実際、ほとんど撮れません(笑)
同じように個々の建築物についても、設計のこととか、建築家をめぐるリテラシーが突出してしまうと、どれも同じような写真にしかならないのではないかと思っています。以前、2010年から2年間、日本建築学会の会誌である『建築雑誌』の編集委員を、会員でもないのに、恐れ多くも拝命しました。そのとき、一つの建築物に、人間の学と術の膨大な蓄積がいかに流れ込んでいるかを垣間見て、圧倒されました。それまでは私自身も、やはり「建築=建築家」的な等式で考えていたように思います。編集委員長の中谷礼仁先生が、建築というのは雑多なものをあまねく受けとめる器である、というようなことをおっしゃってました。まさにそうしたものをまるごとごっそり生け捕りし、見る人がそこから、建築の豊かさを様々に読み込むことができるような、そうした建築写真でありたいと思います。
『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
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18
2017.10
インタビュー:五十嵐淳
interview:
project:
essay:
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五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男,
Galyna SHEVTSOVA
17
インタビュー:野又穫
2016.10
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野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
竹山研究室「無何有の郷」
竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
16
2016.1
interview:
project:
essay:
中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
特集:アートと空間
2014.1
14
interview:
project:
essay:
松井冬子,井村優三,豊田郁美,アタカケンタロウ
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竹山聖,布野修司,小室舞,中井茂樹
特集:建築を生成するイメージ
2015.1
15
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
interview:
project:
essay:
20
2020.01
