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【インタビュー】 写真家 山岸剛

        

 現像された都市 モノ語りを聴く

「モノ」を通して、人工性と自然の力関係を読み解く写真家 山岸剛氏。

「写真はexpress(表現)ではない、世界を認識するための手段だ。」そう語る彼の目には何が写っているのだろうか。パンデミックを経て我々を取り巻く都市はどう変わるべきなのか。彼の写真作品を通して、そこに宿る哲学を紐解いていく。

聞き手:加藤安珠、中筋晴子、西田造
2021.9.9 Zoomにて

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2019 年9 月15 日、江東区海の森

 

  建築写真との出会い

ーーまずはこれまでの経歴や、建築写真家になられたきっかけについてお聞かせください。

学歴としては早稲田大学政治経済学部経済学科を出て、少し間をおいて、同じく早稲田大学の芸術学校空間映像科に入学しました。当時は映画に関心があって、写真はやっていませんでした。写真術に惹きこまれ、本格的に始めたのは24、5歳くらいでしたでしょうか。なかでも建築を撮るようになったのは、もともとあった都市や風景への関心からだと思います。学生時代は旅が好きで、さまざまな場所を訪れました。観光地に行くというよりは、フラフラとまちを歩きまわっていました。その土地土地の風土というのか、風景の雰囲気を、飲んだり食ったりもふくめて堪能していく感じですね。今も変わりません(笑)そしてそうした風景というのは、簡単に言うと人間がつくったもの、つまり建築物と自然とから出来ていました。土木構築物などもふくめた人工物のいろいろなかたちと、自然物とが織り成されて風景が出来ている。そのことが、建築という人工性への興味を素朴に募らせました。まちを歩いて風景を眺め、その空気感を味わうなかで、建築物が粒立って見えてくるようになりました。

私が写真術に興味をもった当時は、日本では「私写真¹」的なものが世の中を席巻していました。しかし、私はまったく興味がありませんでした。自分自身の生活をセンチメンタルに、感傷たっぷりに眺めて撮影する行為にまるで共感できなかった。そういう状況のなかで写真術に手をそめ、どちらかというとはっきりとした「かたち」、またウェットなものよりドライなものが好きだという、自分の嗜好性も影響して、建築写真に進んでいったのだと思います。

 

建築家の鈴木了二²さんとの出会いも大きいです。私が入学した芸術学校の空間映像科は、鈴木先生が立ち上げた学科で、先生がやるならと、その一期生として入ったのです。在学中はいろいろと目をかけてもらって、先生の竣工したばかりの建築作品を撮影させてもらったりもしました。私にとっての、はじまりの建築写真です。写真や建築といったジャンルに関わらず、作品をつくり、それを世の中に発表していく。そのときの社会への態度や距離感なども含めて、先生からは大きな影響を今も受け続けています。だから鈴木了二という人は、自分にとってまさに先生、師匠であると考えています。

 

もちろん食い扶持としても意識しながら、こういったことが合流して、建築写真を撮るようになりました。卒業後は、建築だけでなく商業空間やインテリアなどの撮影も手がける商業写真事務所に3年ほど勤めたのち、独立しました。

ーー写真を本格的に始められていない段階からも、現在の作品に通じるような視点はもっておられましたか。

当時から、個々の建築物だけではなく、建築物と自然とが織り成されて生まれる雰囲気に興味がありました。当然ながら、風景は目に見えるフィジカルなかたちの組み合わせで出来ているわけですが、それと同時に、目には見えないその場の雰囲気というのも、自ずと生まれてきますよね。その場全体の感じ、空気感。風景というものを考えるとき、私にとってその両者は分離することのできないものでした。

 

しかし、ひっくり返すようですが、当時から「空気感」とか「空気」とかいう言葉遣いが嫌でなりませんでした。「空気感」なんてものは、写真には写らないからです。写真に撮れるのは目に見える具体的な個物、すなわち「かたち」だけです。ですから、個々の建築物のかたちに、この曰く言いがたい「空気感」とやらを、いかにして呼び込むか、それを考えなければいけませんでした。

 

  形式性と写真の自由

ーー独立後はどのような活動をされていたのでしょうか。

独立してからは、写真事務所での修行でガチガチに身体化されてしまった建築写真の形式性、慣習みたいなものをときほぐす作業をしていました。たった3年弱ではありましたが、商業写真事務所で撮影をすることを通じて様式化された身体で、いわばフツーの、そこいらの風景を撮影したら、何というか、カチカチのこわばったものにしか仕上がらなくなっていた。それこそ先ほど言った「場の雰囲気」みたいなものがまるで写らなくなっていました。これはまずいと思って、三脚に大きなカメラを載せて撮影するやり方から、手持ちの中判カメラに持ち替えて、東京中を歩いて撮影することにしました。学んだ(=learn)ことを、学びほぐす(=unlearn)感じでしょうか。なにせ仕事なんてとんとなく、暇だけはありましたから、とにかくカメラを首にぶら下げてひたすら歩いていました。

 

皆さんもご存知のように、建築写真というのは、とても形式性の強い写真です。4×5(シノゴ)³などの大判カメラを三脚に据えて撮るのが通例です。水平性・垂直性であるとか、対象への光の当たり方、物体のヴォリューム感の出し方など、いろいろと約束事が多い写真だといえます。私は基本的に、こういった形式性をとてもポジティブに捉えています。絵画や建築の図面などが培ってきた技法のように、3次元のものを2次元に、空間を平面に変換してあらわすために必要な手順が、建築写真の形式性にも流れ着いているといえるからです。写真は若く、「古き良き」建築や絵画に較べると、個々の作品が属する系譜や伝統といったものはほとんどありません。さらに誰でもが撮ることができ、膨大な、今や天文学的な量の写真イメージが日々生み出されています。そうしたなかで建築写真というジャンルは、絵画や建築の知と技術の体系が注ぎ込まれた、つまり伝統と呼ばれるのにふさわしい蓄積が流れ込んでいる、ほとんど唯一の写真ジャンルではないかと考えているのです。

 

だから私はこうした形式性を信頼しています。伝統のなかで培われてきた形式性こそが、現代の雑多なものごとを一手に受けとめることのできる、豊かな、まさに現代的なものであるからです。でも今、そこここで見かける建築写真の形式性というのは、たんに生硬な、間口の狭いものになっているように見えます。画面の水平垂直さえだしておけば建築写真になる、とでもいうような安易さに、形式が堕しているように見える。建築というのはあらゆる雑多なものが寄せ集まって一つのかたちに結晶化するのに、このような凝り固まった形式性では、建築の限られた側面しかとらえることができないのではないか。いわば形式が目的化している状態。本来、形式というものはその先にあるものをこそ捉えるために要請されるのに、今の建築写真においては、形式性が自己目的化して終点になっている。そういう意味では、独立後の「学びほぐし」の時期は、形式というものが本来捕獲することのできる豊かさを、より多く呼び込めるような、そういう身体のあり方を模索していたのだと思います。

     ・・                                 ・

ーーそのような豊かな形式性をもった建築写真として、影響を受けた写真家の方はおられますか。

もちろんです。先ほどお話ししたように、いわゆる「私写真」が流行していた当時、私は見るべき写真などないと勘違いをして、美術館で絵画作品ばかり見ていました。しかし写真家の畠山直哉⁴さんの作品と、彼の非常に精緻で、同時にふくらみのある言葉は常に追いかけていました。

 

また、これはずっと後のことですが、建築写真家の二川幸夫⁵さんにも影響を受けました。二川さんには、日本建築学会の会誌『建築雑誌』の編集委員を拝命した際、お話を直接伺うことができました。二川さんの写真はそれこそ王道の建築写真といった感じ、というかその王道的なあり方を二川さんたちがつくりあげたわけですが、そこに写る建築の懐の深さが明らかにちがいます。個々の建築物を撮っているんだけれども、それを超えて、その背後にその建築物が抱え込んでいる、建築の歴史までも余さず捉えてしまう、そういう大きさ、偉大さ、英雄性といったら大げさかもしれませんが、そういうものがある。彼の建築写真は、建築物単体を撮っているのにそれが風景となっている、そんな感じもある。建築の後先というのか、建築物がそ

こに建ったあとに風景がどのように変わっていくのか、ということと、その建築物がその前に建築の歴史の

何を背負ってやってきたのか、ということを同時に見てとることができるような、そういう射程の深さがあ

るように思います。

 

形式性ということに関連してもう一つ付け加えると、写真は「受けとる、受けとめる」メディアであると私は考えています。ですから、私にとって写真はexpress、すなわち表現行為ではありません。expressというのは自分の内なるものを外に押し出すわけですが、写真はカメラという箱を媒介にして、その向こうにあるものを受けとめ、それをフィルムに定着させるものです。それはカメラという機械による知覚が、人間的なそれではないからこそ可能になることでもあります。カメラは、人間の、行動にいたる知覚とは違って、何が役に立つのかという取捨選択をしません。カメラという箱、この小さな建築物に到来するすべてを平等に、意図しなかったもの、意図しえなかったものも含めてまるごとフィルムへ受けとめることができます。人間的な知覚に限定されることなく生け捕りにされた世界の在り様にまずは驚いて、そこから新しい、いかなる人間的な意味を見いだすことができるのか。こここそが、写真家である私の仕事場です。4月に『東京パンデミック』という本を出した時、ある写真評論家が「山岸の写真は表現じゃない、世界を認識するための手段だ」と評してくれました⁶が、まさにその通りです。

『traverse 新建築学研究』は京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌です。17年度より紙媒体での出版を止め、web上で記事を発信していく事となりました。
BACK NUMBER
18
2017.10 
インタビュー:五十嵐淳
interview:
project:
essay:
三谷純,奥田信雄,魚谷繁礼,
五十嵐淳
竹山研究室「脱色する空間」
竹山聖,​大崎純, 小椋大輔, 布野修司,古阪秀三, 牧紀男, 
Galyna SHEVTSOVA
17
インタビュー:野又穫
2016.10 
interview:
project:
essay:
野又穫,松井るみ,石澤宰,柏木由人
​竹山研究室「無何有の郷」
​竹山聖,山岸常人,布野修司,三浦研,牧紀男,古阪秀三,川上聡
16
2016.1
interview:
project:
essay:
中野達男,石山友美,TERRAIN architects
竹山研究室「コーラス」
​竹山聖,布野修司,大崎純,古阪秀三,牧紀男
特集:アートと空間
2014.1
14
interview:
project:
essay:
松井冬子,井村優三,豊田郁美,アタカケンタロウ
竹山研究室「個人美術館の構想」
竹山聖,布野修司,小室舞,中井茂樹
特集:建築を生成するイメージ
2015.1
15
ホンマタカシ,八島正年+八島夕子,高橋和志,島越けい子
ダイアグラムによる建築の構想
​竹山聖,布野修司,大崎純,
古阪秀三,平野利樹
interview:
project:
essay:
20
2020.01 
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​満田衛資, 蔭山陽太, 鈴木まもる×大崎純
学生座談会
小椋・伊庭研究室
小林・落合研究室
平田研究室
三浦研究室
​井関武彦, 布野修司, 竹山聖, 古阪秀三, 牧紀男, 柳沢究,  小見山陽介, 石井一貴, 菱田吾朗, 岩見歩昂, 北垣直輝
interview:
 
project:
 
 


 essay:
インタビュー:満田衛資
2020.11 | 
21
ABOUT
インタビュー:
   木村吉成&松本尚子
discussion:
 
project:
 
 
 
essay:
​木村吉成&松本尚子, 宮本佳明,伊藤東凌,井上章一
竹山研究室「オブジェ・アイコン・モニュメント」
神吉研究室「Projects of Kanki lab.」
​金多研究室「自分の仕事を好きにならな」
布野修司,竹山聖, 大崎純, 牧紀男, 柳沢究,清山陽平,成原隆訓,石井貴一
2018.10 
19
インタビュー:米沢隆
workshop:
discussion:
project:
 
 
 
essay:
池田剛介, 大庭哲治, 椿昇, 富家大器, 藤井聡,藤本英子
倉方俊輔,高須賀大索,西澤徹夫
竹山研究室「驚きと喜びの場の構想」
平田研究室「建築が顔でみちるとき」
布野修司,竹山聖, 金多隆, 牧紀男, 柳沢究,小見山陽介
22
2021.11 | 
インタビュー:藤江和子
interview:
 

project:
 
 

 essay:
山岸剛,後藤連平,
岸和郎×平田晃久,
竹山聖×小見山陽介
​平田研究室
ダニエル研究室
高野・大谷研究室
西山・谷研究室
布野修司, 古阪秀三, 竹山聖, 大崎純, 牧紀男, 柳沢究, 小見山陽介,大橋和貴, 大山亮, 山井駿, 林浩平
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